第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』
矢野 隆Takashi Yano
鬼島津。
戦に明け暮れた六十六年の歳月によって得た異名である。
泰平の世を築いた太閤、豊臣秀吉が死に、次の天下を争う大戦だ。徳川家康と石田三成、いずれが勝とうとも、天下の趨勢(すうせい)は決する。戦国の世がふたたび訪れることはない。
この戦で死なねば老いた我が身をもてあまし、安穏に倦(う)み疲れた果ての茫洋(ぼうよう)とした死が待つのみ。そんな死に様には耐えられない。だから兄、義久の反対を押し切ってまで、兵を挙げたのではないか。
義弘が率いる手勢は、正規の島津の兵ではない。義弘を慕って薩摩から駆けつけた者たちである。千五百という数は、十五万もの兵が集う戦場ではあまりにも少ない。
だから義弘は戦がはじまっても動かなかった。
長年の戦働きで培われた冷徹な目で流れを見極め、己が死に場所を探した結果の沈黙である。
朝からはじまった戦は昼には大勢が決した。石田方に与(くみ)しているとみられていた小早川秀秋が家康の加勢にまわったことで形勢が一気に徳川方に傾いたのである。一度、瓦解をはじめると、立て直すのは容易ではない。石田方の諸将は次々と敵に蹂躙(じゅうりん)され、散り散りになって逃げてゆく。
ここが死に場所だ。
義弘は意を決した。
目の前に立ちはだかる敵の大軍にむかって、義弘は馬を走らせた。敵中突破である。敗走する石田方の兵たちを追うことに躍起になっている敵の虚を衝(つ)くことで味方を生かし、かつ己は味方を守るために死ぬ。
義弘は死に場所を求めて駆けた。
その末の……。
この様である。
甥に守られ、味方に囲まれ、老いた身を生き永らえさせるために、義弘はこの地に立った訳ではない。
それでも生きねばならなかった。甥のために。豊久の最期の願いを聞き遂げるためには、生きねばならなかった。たとえそれが苦渋に満ちた選択であろうと、もはや道は残されていない。死に場所を求めた己の我儘(わがまま)のために多くの家臣が命を散らした。甥すらも犠牲にした。みずからの手で命を終わらせるような真似(まね)はできない。
老いさらばえた身で、戦無きこれからの世をどうやって生きれば良いのか。それを考えると、目の前が真っ暗になった。
薩摩へと戻る船上に義弘とともに立つ味方は、八十人あまりであった。
千五百が八十である。
多くの命を犠牲にして、義弘は薩摩に戻った。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。