よみもの・連載

城物語

第三話『裏切りの城(今帰仁城)』

矢野 隆Takashi Yano

 古宇利島(こうりじま)の方から、東の風が吹いてくる。
 厳しい陽光に照らされた熱い風を頬に感じながら、攀安知(はんあち)は目を細めていた。
 紺碧の海から運ばれてくる風は、丘を駆け上がる途中で湿り気を吸い取られ、磯の匂いだけを城に届けてくれる。
 しかし。
 今日はやけに湿っていた。普段なら香しく感じられる匂いには、獣の生臭さが混じっている。人の気配が風に溶けて、鼻腔の奥に無粋な臭気を横溢(おういつ)させた。
 悪くはないと、攀安知は思う。
 おびただしい敵を前にして、心が躍る。
 緩やかに湾曲し凹凸を描く石垣の上に立つ攀安知は、細めていた眼を大きく見開いた。今帰仁城(なきじんぐすく)の西部に広がるなだらかな平野に、敵がひしめいている。東に向かって先細り、西に向かって扇状に広がる城は、北を切り立った崖と、その下を流れる川でさえぎられ、東と南は丘を削って城地に盛り土をし、急峻な斜面となっている。攻め落とすためには、城の正面である西から来るしかない。攀安知が立っているのは、その西外廓(そとぐるわ)の石垣である。
「機先を制されたか」
 つぶやいた攀安知の分厚い唇が、笑みの形にゆがんでいた。敵は広大な城を取り囲む大軍である。城に籠る手勢は半数にも満たない。それでも攀安知は、恐れを見せず平然と笑う。そんな主の隣に立つ家臣が、声を吐いた。
「中山(ちゅうざん)攻めを奴等に打ち明けられたのが、拙(まず)うござりましたな」
 家臣の名は平原(ていはら)。本部(もとぶ)の生まれである。家臣のなかでも一、二を争う剛の者であり、戦場ではつねに攀安知のそばにあった。勇猛な将でありながら細身で、顔もまた細い。そんな平原が、これまた細い目をさらに細めながら、口を開く。
「中山に降(くだ)った者らはすべて、元の主家の重臣たちにござりまする」
 攀安知の先々代にあたる初代北山(ほくざん)王、帕尼芝(はにじ)が追い落とした主家の重臣たちが裏切った。羽地按司(はねじあじ)、国頭(くにがみ)按司、名護(なご)按司。皆、攀安知の祖父の頃に、北山王家に従った者たちである。
 平原はなおも続けた。
「彼奴等(きゃつら)に担がれ、読谷山(ゆんたんざ)按司も中山に降った由にござります」
「そうか。真牛(まうし)も向こうに付いたか」
 攀安知が言うと、平原の額に細い筋が浮かんだ。読谷山の按司である真牛は、平原と肩を並べる勇猛な将であった。純粋な力だけでいえば、平原よりも上だ。真牛の先祖は、もともとは、この今帰仁の按司であった。それを攀安知の先祖にあたる帕尼芝が追い落とし、臣従した真牛の祖先を、読谷山の按司にしたという経緯がある。
「奴が敵に回ったのは厄介だな」

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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