よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

   一

 どうして、こんなことにならなければならないのか……。
 下座で媚(こ)びへつらいの笑みを浮かべている男を見下しながら、源九郎判官義経(みなもとのくろうほうがんよしつね)は心のなかでつぶやいた。あくまで心中での独白である。面の皮に不満の色を滲(にじ)ませることは絶対にない。第一、義経の胸中でくすぶっている憤懣(ふんまん)の火は、目の前の卑屈な男のせいなのではないのだ。己の到来を聞きつけて、わざわざ出迎えに来てくれた彼に対しての不服はいっさいない。感謝はしている。感謝はするが、義経は男を好ましいとは思わないし、思う努力をしようとも思わない。
「都からの長旅、さぞやお疲れでございましょう。平泉(ひらいずみ)に参られたからには、もはやなにも心配することはござりませぬと、父上も申されております」
 目の前の男の父は奥州(おうしゅう)の覇者である。
 藤原秀衡(ふじわらのひでひら)。平泉に居を構え三代にわたって陸奥(みちのく)の支配者として君臨し、都の朝廷からも奥州の自治を半ば認められている名門の長だ。
 いま目の前でにやにやと笑っているのは、覇者の息子である。名は泰衡(やすひら)という。ゆくゆくは父を継いで藤原家の惣領(そうりょう)となるべき男なのだが、義経は昔からこの男のことが好きになれなかった。
「七年ぶりにござりまするか。父上も早う九郎殿に御会いしたいと申しております」
 いかにも人の好さそうに笑う泰衡の言葉に、義経はちいさくうなずいた。
 そう、七年前まで義経は平泉にいたのだ。父が賊軍の大将として殺され、父を殺した平清盛(たいらのきよもり)によって死を免れた義経は、鞍馬寺(くらまでら)に預けられた。年を重ね、己が源家の惣領の子だということを知った義経、源家再興の志を抱くようになり、秀衡の誘いを受けて密かに鞍馬寺を抜け、平泉へと入った。そして七年前、兄の頼朝(よりとも)が平家打倒の兵を挙げると、義経もそれに呼応するように平泉を出たのである。
 七年……。
 よもやこのようにしてこの地に戻ってくるとは思ってもみなかった。
 平泉の南方に位置する栗原寺(りつげんじ)。ここは、まだ少年であったころの義経が、平泉に入る際にも泊まった寺だ。陸奥の商人、金売吉次(かねうりきちじ)に連れられてこの寺へと辿(たど)り着いた義経は、はじめて平泉からの出迎えを受けた。この辺りは、吉次が生まれ育った場所であると、本人から教えられた。
 栗原寺でひと息ついた義経を出迎えたのも、泰衡であった。思えば、義経が出逢(であ)った平泉の人間は、吉次を除けばこの泰衡がはじめてだったのだ。
「父上がお待ちでございます。支度が整い次第、出立いたしましょう」
 何事につけても父上、父上……。この男の口から出る言葉は、必ずどこかに父上が入る。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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