第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』
矢野 隆Takashi Yano
「贄柵……」
「某、河田次郎(かわだのじろう)を御頼りくださり、これほどの誉はござりませぬ」
泰衡は思い出した。
家臣たちの進言により、古くからの郎従である河田次郎を頼って、この贄柵に入ったのだった。
目の前で答えた男こそ、その河田次郎である。
「御疲れでござりましょう。今宵はこの館でゆっくりと御休みになられ、これからのことは明日にでもまた御考えになられればよろしかろうと」
「うむ」
鷹揚(おうよう)にそれだけ答えて、会見を手短に終えた。
寝床で横になると眠りはすぐにやってきた。
暖かい褥のなかで、泰衡は久方ぶりに骨の芯まで眠る。
「ぐっ」
己がうめき声を聞いたのが先だったか、腹が熱くなったのが先だったのか、泰衡にはわからなかった。とにかく変事が起こったことだけは間違いない。
「な、何奴じ……」
言葉が上手く出てこない。
腹の真ん中に己の躰とは別のなにかがある。それを中心にして、燃えるような熱が腹に広がっていた。
「我等はもはや御主には従えぬ」
泰衡の躰にまたがっている気配が言った。その声は最前聞いた河田次郎のものである。
「どれだけ落ちぶれようとも、藤原家の当主。某みずから手にかけるのが、せめてもの礼。御許しめされよ」
「な、な、な……」
腹の熱が引いてゆく。それと同時に指先から寒気が襲ってきた。寒さは指から掌、そして腕や脚へと瞬く間に広がってゆく。
死という言葉が実体となって泰衡の躰を支配する。
「な、何故……」
次郎に問う。
「何故、儂が死なねばならぬのじゃ……」
答えは返ってこない。
泰衡の死とともに奥州藤原の栄華は潰えた。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。