よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

 平泉に入った義経は、すぐに秀衡と再会した。秀衡は、かねてから約束していたとして、名馬百匹、鎧(よろい)五十領、征矢(そや)五十腰、弓五十張という豪勢な品物と、義経の私領として桃生(ものう)、牡鹿(おしか)、志太(しだ)、玉造(たまつくり)、遠田(とおだ)の五郡を、また郎党たちで分配せよと言って胆沢(いさわ)、江刺(えさし)など三庄を与えた。そして、領内の家臣たちを平泉に呼び、連日連夜の歓待を行ったのである。
「もう、なにも心配することはありませぬぞ。奥州は判官殿の味方じゃ」
 白い髭(ひげ)を揺らしながら、奥州の覇者、秀衡は勢い込んで義経に語る。己の座す上座に導き、並んで座り酒を呑む。目の前には秀衡の家臣たちが打ち揃(そろ)い、泰衡を筆頭にした秀衡の子供たちも並んでいた。雪深い地とは思えぬほど豊かな食べ物と、都の品と比べても遜色のない美酒に、義経の郎党たちの顔もほころぶ。いつ何時、主(あるじ)が捕らえられるかわからぬという張り詰めた日々から解き放たれ、厳(いか)めしい弁慶ですら顔を真っ赤にして先刻から皆の前で踊っている。
「兄は……」
 家臣たちの嬉(うれ)しそうな姿を見つめながら、義経はおもむろに秀衡に語りかける。言葉ともいえぬ短い声をひとつ吐き、老いた奥州の覇者は義経に先をうながす。
「私を許さぬでしょう」
 兄が平家と戦うために挙兵した折、義経は黄瀬川(きせがわ)の陣ではじめて頼朝と対面した。その時、義経は兄の目の奥に潜む闇を見た。どれだけ温かい言葉を吐いても、兄の目の奥は絶対に笑っていない。この世のすべての者を信じていない。兄の瞳がそう言っていた。
 これからは水と魚のごとき交わりでもって、と兄は言った。しかしそれから七年が経ち、兄は水魚の交わりを望んでいたはずの弟の命を絶とうとしている。やはりあの時、兄に感じた疑念は間違いではなかった。
「心配するな判官殿」
 膝で床を滑り義経の間近まで躰を寄せた秀衡が、若く張りのある背中を叩(たた)いた。そしてそのまま義経の背に掌(てのひら)を当てて、ゆっくりと擦(こす)る。生温い老人の熱が、衣を通じて伝わって来た。
「鎌倉がどう動こうが、儂(わし)は絶対に其方(そのほう)を渡しはせぬ。頼朝が兵を挙げるのなら、こちらも戦うまでよ。儂等は常に戦い、みずからの平穏を勝ち取ってきた。都に住まう者から蝦夷と蔑まれ、源家に攻めたてられても、我が一族は決して諦めなかった。この平泉、そして奥羽の地は、藤原と蝦夷の物じゃ。安心せよ。御主(おぬし)はなにがあってもこの儂が守る」
「有難きお言葉……。兄が平泉に兵をむけたその時は、この義経、我が身を賭して戦いまする」
「頼むぞ」
「はは」
 会話の間ずっと背中を触れられていた。秀衡にとっては、親愛の情の顕れなのかもしれないが、義経にとってはただただ気持ち悪いものでしかない。口から出て来た言葉はすべて、秀衡の言に対する単調な受け答えであり、真心から吐いた物ではない。
 それでも秀衡は喜んでいた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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