よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

 化け物だ。
 人外の獣(けだもの)が目の前にいた。
 衣川の対岸で戦う弁慶の悪鬼のごとき姿に、泰衡はただただ息を呑む。
 三万の兵で攻め寄せたのだ。相手はたかだか十人ばかり。なのに味方の兵たちは、川を越えて館に取りつくことができずにいる。
 弁慶のせいだ。あの僧形の獣が、万を超す男たちを翻弄している。
 こんな傍若無人な戦いぶりを、泰衡は見たことがない。もしかしたら、弁慶一人で三万の味方が崩れるのではないのかという不安が、頭に過(よぎ)る。そして己が死を思い恐怖した。
 長大な薙刀(なぎなた)を右に左にと振り回し、弁慶が侍たちを弾き飛ばしてゆく。斬るのでも、薙(な)ぐのでもない。本当に弾き飛ばすのだ。弁慶の薙刀に触れた者は、高々と宙に舞い、虚空で四散する。刹那の間にいったいどれだけの斬撃を繰り出しているというのか。一人に幾太刀も浴びせていながら、弁慶は無数の敵を相手にしている。
 一人また一人と、悪鬼の刃の餌食となって肉の破片に姿を変えてゆく。
 奮迅の働きを見せているのは、弁慶だけではなかった。
 ある者は館の塀の上から矢を放ち、的確に兵を屠(ほふ)ってゆく。見事なまでに一矢で一人を始末する。またある者は、敵の群れの間を素早く掻(か)い潜(くぐ)り、足や脇など露わになった場所を斬りつけ、動きを封じてゆく。筋を斬られた者たちは、生きながらにして骸(むくろ)同然となる。
 義経の郎党はいずれも一騎当千の兵だと、常々父から聞いてはいたが、これほどだとは思ってもみなかった。泰衡が愚かだったのではない。彼等の戦いぶりを見れば、誰でもそう思う。弁慶たちの戦働きは、それほど苛烈なものであった。
「まだじゃっ。まだまだ足りぬぞっ」
 周囲に屍(しかばね)の山を築きながら、弁慶が叫んだ。
「そそられますな」
 隣に並ぶ馬の上で、国衡がつぶやきながら躰を震わせる。武者震いだ。対岸で戦う弁慶の姿を見て、奮い立っている。
「兄上が行くことはありませぬ」
 万が一ということもある。
 国衡に死なれたら、平泉の武は潰(つい)えてしまう。泰衡では蝦夷の荒ぶる魂を抑えることも導くこともできない。
「わかっております」
 口の端を吊(つ)り上げながら、国衡が答える。
「矢じゃ」
 泰衡は家臣たちにむかって言った。
 誰もこちらを見ない。
 どうやら聞こえていなかったようだ。
 咳払(せきばら)いをひとつして、腹に力を込める。そして今度は、気合とともに言葉を吐き出す。
「あの男に矢を射かけよっ。十や二十では足りぬ。ありったけの弓を、あの男にむけるのじゃっ」

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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