よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

「なにとぞよしなに……」
 それだけ言って義経は深々と頭を下げた。下座のほうから、泰衡のうろたえた声がする。なにかにつけて大袈裟(おおげさ)な男だから、平家追討の功により後白河法皇(ごしらかわほうおう)から検非違使(けびいし)の長、従五位の判官と伊予守(いよのかみ)に任じられた義経に頭を下げられ、全身で恐縮の意を顕(あら)わしているのだろう。
 検非違使、従五位の判官、伊予守……。
 そもそもこれが、今の義経を作り上げた元凶なのだ。帝(みかど)から与えられた官位や役職がなければ、兄から疎んじられることもなかった。義経の居場所は鎌倉にあったはずである。
 まったくなにがどうなって、こんな東の果てまで落ちて行かなければならないのか。
 義経は暗澹(あんたん)とする。
 平家にあらずんば人にあらずとまで豪語し、我が世の春を謳歌(おうか)していた平家一門を都から追い払い、西へと攻めたて、壇ノ浦(だんのうら)の海底に一族もろとも沈めたのはいったい誰だと思っているのか。
 己だ。
 この源九郎義経だ。
 兄は家臣たちとともに鎌倉に引きこもり、果報を待っていただけではないか。それがどうだ。平家が滅亡するやいなや、己こそが武家の棟梁(とうりょう)だと言って大きな顔をし、みずからの弟をも勝手に朝廷から補任されたといって、手にかけようとしている。そもそも兄を、このような尊大な真似(まね)ができるような立場に導いたのは義経ではないか。義経こそが、頼朝を武士の頂に座らせたのだ。その間、兄はいったいなにをしていたというのか。都より遠く離れた鎌倉の地で、命の危機すら感じずに日々を過ごしていただけではないか。
 平家を滅ぼした褒美が従五位の判官と伊予一国では割に合わない。それこそ日の本の半分をもらっても良いはずだ。兄が鎌倉で政(まつりごと)を行うのなら、不破(ふわ)の関より東は兄、西は己。それに見合うだけの武功を挙げたという自負が、義経にはあった。
 なのに何故……。
 理不尽極まりない。
 平家追討の立役者が、いまや帝から追討の綸旨(りんじ)が下されるほどの罪人なのだ。
 すべては兄の所為(せい)である。
「義経様」
 かたわらに侍(はべ)る僧形の大男が、躰(からだ)に似つかわしくないちいさな声で、義経を思惟(しい)の闇から引きずりだした。武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)。義経が鞍馬寺にいたころよりの郎党である。
 我に返った義経が下座を見ると、とつぜん黙り込んだ客人の姿に戸惑ってでもいるのか、蝦夷(えみし)の王の息子が声を失ったまま固まっていた。
「申し訳ありませぬ。追手の目を避ける険しき旅路でござりました故、平泉に辿り着いた安堵(あんど)から疲れが出たのかもしれませぬ」
「無理もない。ひとまず父の住まいである柳之御所(やなぎのごしょ)に入られ、ゆっくりとなさるがよろしかろう」
「お心遣い悼み入りまする」
 義経はふたたび頭を垂れた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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