よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

   二

 どうして、こんなことにならなければならないのか……。
 平泉の政の中心である柳之御所の政務の間に座り、藤原泰衡は一人考える。
 父が死に、弔いを終えた。陸奥じゅうに点在する家臣たちへの報(しら)せや、葬儀や諸々(もろもろ)の支度などなど、次から次へとわいて来る雑事の数々に翻弄される日々がひと段落すると、泰衡は己の心に大きな穴が空いていることに気付いた。最初は父が死んだ虚(むな)しさからくる物だろうと思っていたのだが、どうやら違うと思い始めたのは、柳之御所で政務を行うようになってからだった。
 泰衡は秀衡の嫡男である。秀衡亡き後、奥州の覇者となるべき藤原家の四代目なのだ。
 しかし、なにかがおかしい。
 父が義経の前で遺言を披瀝(ひれき)したその日のうちに、内容は噂(うわさ)となって平泉に住む者たちの口の端に上った。
 秀衡が後継に選んだのは、泰衡ではなく源氏の九郎、判官義経……。
 事実である。否定するつもりはない。たしかに父は義経を大将軍に任じて国務をやらせろと言った。その通りである。噂は間違っていない。
 だが、あくまで父が言ったのは大将軍である。藤原家の当主を定めたわけではない。平泉の、いや奥州の支配者は藤原家である。それは曽祖父、清衡(きよひら)のころから連綿と続く伝統なのだ。
 藤原家の当主はこの泰衡なのである。
 ならば奥州は泰衡のものだ。
 己はなにも間違っていない。正しいことを言っている。義経はあくまで大将軍。藤原家四代当主泰衡の元で、国務を司るに過ぎない。
 はずなのに……。
 民はそれを解っていない。
 平氏を滅亡させ、先代秀衡が目に入れても痛くないというほどに寵愛(ちょうあい)した義経を、民は好んでいる。上方での神懸かりとしか思えぬほどの戦働きの数々や、その器量を兄に疎まれたという悲しき縁が、民の心をくすぐるのだろう。いまや次代の平泉の主は、義経であると誰もが思っている。
 いったいあの男のどこに、人を惹(ひ)きつける物があるというのか。
 十数年前、まだ少年だった泰衡は父の命を受け、上方から来る源家の御子を栗原寺まで迎えに行った。そこではじめて、泰衡は源家の侍というものを見たのである。
 藤原家と源家との因縁は深い。曽祖父、清衡の父である藤原経清(つねきよ)は、八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)の父、頼義(よりよし)によって殺された。鋸(のこぎり)のように刃を落としぎざぎざにした刀で首を斬られたという。曽祖父、清衡は義家と手を結び、かつて頼義とともに父を死に追いやった清原(きよはら)家を滅ぼし、奥州の覇権を獲得した。藤原家にとって源家は、使いようによって敵にも味方にもなる因縁深き武家であった。
 つまり信用のならぬ者等、ということである。
 そんな泰衡の想いは、義経との対面で確信に変わった。
 なんともいえぬ、嫌な顔をした男であった。はじめて義経の顔を見た時のことを、泰衡はいまでもはっきり覚えている。
 なにがどうしてそんなに不服なのか、常に唇はへの字に歪(ゆが)み、眉間には縦皺(たてじわ)がうっすらと浮かんでいる。泰衡を見る瞳の奥には、人を嘲るような高慢な光が宿っていた。平氏に縛られ満足な暮らしすらできぬ都を抜け出し、父秀衡の庇護(ひご)に縋(すが)ろうとしているというのに、義経の目に卑屈さは微塵(みじん)も無かった。庇護を受けて当然だと言わんばかりに、緩んだ頬には余裕が滲んでいた。
「何卒(なにとぞ)よしなに願いまする」
 口では人を思いやるようなことを言ってはいるが、心の底では毛ほどもそんなことは思っていない。喜びや悲しみを顔には出すが、それは面の皮一枚動かすだけ。常に心の奥底では、泰衡たち蝦夷を見下している。
 そんな義経の性根にある邪(よこしま)さを、泰衡だけははっきりと見抜いていた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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