よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

   四

「何故じゃ。何故こうなるのじゃ」
 頼朝挙兵の報せを受けた泰衡は、家臣たちが見ていることすら忘れて叫んだ。
「義経の首は鎌倉に送ったのだぞ。儂は頼朝に言われた通りにやったではないか。な、何故、追討されねばならぬのじゃ」
 衣川館の自室で死んでいた義経の首を刎(は)ねさせ、酒に漬けて鎌倉に送った。本来なら泰衡自身が首を検(あらた)めなければならないのだが、顔を見れば嫌悪が蘇(よみがえ)り吐き気を催しそうだったからやめた。首は見ずに送らせた。もちろん鎌倉への恭順の意を示すためだ。
 頼朝が兵を挙げたのは七月十九日のことだったという。閏四月に義経の首を刎ね鎌倉に送った。首は届いているはずだ。なのに頼朝は兵を挙げた。それがなにを意味するのか。考えずともわかる。
 家臣たちとともに並ぶ国衡が、厳しい言葉を吐く。
「もはや鎌倉の意図は明白。こうなったら迎え撃つしかありますまい」
 その通りだ。
 その通りかも知れないが、それでは泰衡の権威は地に落ちる。鎌倉と事を構えぬために、義経を討ったのだ。それでも鎌倉が攻めてくるとなれば、義経を討ったことが無駄になる。けっきょく鎌倉と戦をするのであれば、義経を生かしておいたほうが良かった。あの鬼人のごとき家人たちや、平家を滅ぼした義経の軍略をみずから棄(す)ててしまったことが、いまさらながら悔やまれる。泰衡の悔恨などどうでも良い。家臣や民たちも、泰衡と同様のことを思うはずだ。
 主は無能……。
 誰もがそう思う。
 それで満足に戦えるのだろうか。
 泰衡には自信がなかった。
「御案じめさるな」
 弟の心の裡を見透かしたように、国衡が言った。国衡たちは、泰衡を上座に置いて左右に居並んでいる。兄は泰衡と正対してはおらず、正面に並んだ家臣たちへと顔をむけていた。国衡は前方を見つめたまま、泰衡を見ようとしない。その態度が、心に渦巻く不安をいっそう掻き立てる。
「某がおりまする。この国衡がおる限り、平泉は負けませぬ」
 心強い言葉に、家臣たちの顔がわずかに明るくなる。動揺を隠すことすら忘れている主よりも、兄に心を寄せているようだった。
 嫉妬の念が沸く。
 だが無理もない話だと諦め、兄への邪念を打ち払う。そして、なにひとつまとまらない考えを放棄して、必要なことだけを兄に伝えた。
「兵のことは兄上に御任せいたしまする」
「では、鎌倉と」
「それしか道はないのでしょう」
 心が定まらぬまま、泰衡は出兵を命じた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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