よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

 愚かだ……。
 見抜かれていることも知らずに、義経は泰衡のことを他の誰よりも蔑んでいる。言葉にも態度にも出しはせぬが、泰衡を見る時に義経の瞳にはどんな時よりも濃い闇が宿っていた。
 すべての人間を騙(だま)しきっていると信じている。
 愚かだ。
 愚か過ぎて話にならない。
 どうして父をはじめとした平泉の者たちは、あの男の性根に気付かないのか。泰衡は不思議でならなかった。泰衡以外の者たちは、あの父でさえ、義経の態度と殊勝な言葉にころりと騙されたのである。源家の子息が、己に頭を下げて聞き心地の良い言葉を吐いてくれる。蝦夷にとってこれほど心をくすぐられることはない。あの男は、それを十分にわかっているのだ。高慢極まりないあの顔も、見ようによっては、憂いを帯びた哀れな姿に見えるらしい。
 父上たちは利用されている……。
 何度この言葉を呑みこんだことか。そんなことを口にすれば、嫉妬と思われるだけ。ただでさえ泰衡は、兄である国衡よりも人望がない。武勇を好み、竹を割ったような気性である国衡は、民にも大層慕われている。いっぽう嫡男である泰衡のほうは、何事にも尻込みする内気な気性のため、家人たちまでもが遠巻きにする始末。兄弟を見る父の目も、自然と変わってくる。兄を見る時の父は、口許(くちもと)に笑みをたたえ、いかにも頼もしい者を見るような目で楽しそうに語った。
 泰衡を見る時の目……。
 思い出したくもない。
「もそっと腹を据えよ」
 死んだ今でも耳の奥には、そう言って溜息を吐(つ)く父の声がこびりついている。なにか泰衡に命じ、その始末が終わる度に、父は同じ言葉を繰り返した。
 しっかりやっている。満足に果たしたつもりだ。結果も申し分ないと思って、父に報告するのだ。
 しかしいつも、この言葉を浴びせ掛けられる。重箱の隅をつつくように、あらを探して叱責する。兄にはそんなことはいっさいしないのに。
 あの源家の小倅(こせがれ)にも……。
 父は己に奥州を任せるのは無理だと思ったのか。だから義経に国務をさせろなどと言ったのか。心根と表の態度が裏腹な、あの男に。
 もしかしたら……。
 泰衡はある考えに思い至る。
 泰衡と同様の想いを抱いた者が、もう一人だけいるのではないか。
 義経の兄、頼朝だ。
 頼朝が義経を遠ざけたのは、検非違使でも従五位の判官でも帝の寵愛でもないのかもしれない。義経の面の皮の下に潜む、邪な本性を見抜いていたからなのではないか。
 愚かな弟の真の心根を、兄は遠ざけたのだ。
「おられたか泰衡殿」
 開け放たれたままの襖(ふすま)のむこうから、大きな声が聞こえて来た。大股でずんずんとこちらに近付いてくるのは、兄の国衡である。国衡はさわやかな笑顔を口許に湛(たた)え、泰衡が座る一段高くなった上座の前に、どっしりと腰を据えた。胸を張って背筋を伸ばすと、その堂々とした体躯(たいく)が余計に大きく見える。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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