よみもの・連載

城物語

第五話『士道の行く末(五稜郭)』

矢野 隆Takashi Yano

 激しく降る雪が鉛色の海に吸い込まれてゆく。
 荒ぶる波に翻弄され激しく上下する甲板の上で、土方歳三(ひじかたとしぞう)は遠くに見える陸地を見つめていた。
 蝦夷島(えぞがしま)。
 この国の北の果てである。
「投錨(とうびょう)の用意じゃっ。早くしろっ」
 周囲では男たちが激しく怒鳴り合っている。みな、寄るべき城を失った者たちだ。
 歳三もそのなかの一人である。
 武州多摩(ぶしゅうたま)の田舎に生まれ、剣術を通じて知り合った仲間たちとともに京に上った。新撰組の副長として、尊王攘夷(そんのうじょうい)を唱える不逞(ふてい)浪士を追っていたのも、遠い昔のことである。
 時代は変わった。
 かつて歳三たちが成敗していた側の浪士たちは、今やこの国の権力の中枢にある。薩摩、長州、土佐……。大恩を受けた徳川家を裏切り、幕府を倒し、帝(みかど)を担ぎ上げて権力を握った者たちだ。
 徳川が倒れ、武士の世は終わった。
 士道。
 そんな言葉を口にする者は、流れに乗り遅れた者たちばかりであった。
 かつて自分が追い立てていた者たちに、追われるというのも皮肉なものである。追われ追われて辿(たど)り着いた場所。それが北の果ての蝦夷島だった。
「ここから始まるんだな」
 手摺(てす)りにつかまる歳三の背に、声をかける者がいる。肩越しに声のしたほうを見ると、揺れる甲板を這(は)うようにして、小男が近付いてきていた。口のまわりに髭(ひげ)をびっしりと生やし、それが頬からもみあげへと繋(つな)がっている。
 男の名は大鳥圭介(おおとりけいすけ)という。
 慶応三年(一八六七)、フランスの軍事顧問団によって結成された幕府の陸軍部隊、伝習隊(でんしゅうたい)の総督である。江戸城が開城となった際、伝習隊は新政府軍には従わず、江戸を脱走した。その後、歳三が率いている新撰組と合流し、宇都宮、会津と転戦してきている。
「ここから私たちの新たな戦いが始まる。頼りにしているよ、参謀」
 大鳥たちと転戦する間に、歳三は伝習隊の参謀を任されるようになっていた。
「新たな戦いか……」
 近づいてくる蝦夷島を見つめながら、歳三はつぶやいた。
「そうだ」
 大鳥が隣に並ぶ。強い風に舞う大粒の雪を顔に受け、頬を真っ赤に染めながら、大鳥は小刻みに震える唇で語り始めた。
「幕府を失い路頭に迷う幕臣たちを、薩長どもは見捨てた。蝦夷島の開拓を幕臣に任せてくれという榎本(えのもと)殿の嘆願を、奴等(やつら)は無視したのだ」
 榎本釜次郎(かまじろう)。
 蝦夷島を目指すこの艦隊の長である。
 長崎の海軍伝習所で学んだ後、オランダへ留学。幕府がオランダに発注した軍艦、開陽(かいよう)に乗って帰国する。その後、開陽の船将、軍艦頭を経て、幕府の海軍副総裁となった。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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