よみもの・連載

城物語

第五話『士道の行く末(五稜郭)』

矢野 隆Takashi Yano

 榎本は江戸城開城後に、幕府の軍艦が新政府軍に接収されるのを拒み、開陽、回天(かいてん)ら軍艦四隻と、神速(しんそく)、長鯨(ちょうげい)、美賀保(みかほ)、咸臨(かんりん)の輸送船四隻を率い江戸を脱出。新政府軍と戦う奥羽の諸藩の救援のために北上した。その途上、会津の敗戦とともに仙台に集結していた旧幕軍諸隊と合流。進路を北に取る。合流した諸隊のなかに、歳三もいた。
 奥羽諸藩の敗北を知った榎本は、多くの幕臣とともに新天地を求めて蝦夷島を目指したのである。
 分厚い外套を着込んだ大鳥の肩が、激しく震えた。それを見て、歳三は問う。
「大丈夫か」
「やはり蝦夷は寒いな」
 強がるように笑ってみせた大鳥は、手摺りを放そうとしない。
 歳三は黒色の西洋風の軍服のみを着込み、小揺るぎもせず蝦夷島を見つめている。島と言ってはいるが、蝦夷島は広大だという。
「蝦夷島を切り開き、我等の国を作る。そうすれば新政府とも互角に戦えるはずだ」
 大鳥の顔が紅く染まっているのは、寒さのせいからなのか。それとも蝦夷島に自分たちの国を作るという途方もない夢に浮かれているからなのか。とにかく大鳥のなにかに取り憑かれたかのごとき笑顔は、これまで見たことのないほどに紅かった。
 すでに島は、手を伸ばせば届きそうなほどに近づいている。先をゆく開陽は、碇(いかり)を下ろそうとしているようだった。
「大鳥殿」
 上陸のための小舟を下ろす開陽を見つめながら、歳三は隣で震える小男を呼んだ。大鳥は紅い顔をがくがくと揺らしながら、歳三を見て首を傾げた。無言のまま言葉をうながす時の、大鳥の癖である。
 歳三は言葉を選びながら、伝習隊総督に問う。
「俺たちの国なんか、本当にできるのか」
「できるできないではない。作るのだ」
 熱に浮かされたような潤んだ瞳を歳三に向けて、大鳥が声高に言った。
「国が我等を拒むのなら、我等は我等の道を行くまでだ。蝦夷島には我等を迎え入れるだけの土地がある。新政府との戦いに勝利し、この地に根を張り、我等は我等の手で新天地を築くのだ」
 我等、我等と小五月蠅(こうるさ)い……。
 大鳥は剣の腕よりも弁が立つ。頭に据えるには、歳三には少し物足りない。
 戦(いくさ)の頭というものは、誰よりも強く、戦う背中で道を示してゆくものだ。かつて歳三が頭に据えた近藤勇(こんどういさみ)のように。
 榎本という男も、大鳥の同類である。みずからが戦うよりも、後ろに控えて小癪(こしゃく)なことを言いながら、前線で戦う者の尻を叩くような男だ。
 無理もない。
 京の都で歳三が仲間たちと刃(やいば)の下を駆けまわっていた頃、彼等は平穏な場所で頭ばかりを鍛えていたのだ。本当の戦というものが躰(からだ)に染みこんでいない。彼等もまた、士道などという言葉に、なんの愛着も持っていなかった。
 船が止まった。碇を下ろしたのだ。そろそろ上陸が始まる。
 歳三は手摺りをつかんだまま、上陸のために立ち去ろうとする大鳥に語りかけた。
「こんな北の果てで、俺たちにいったいなにができるんだ」
「これから戦いが始まろうとしているんだ。皆の前で、そんな気弱なことは言わないでくれよ」
 吐き捨てるように言った大鳥が、甲板を去ってゆく。伝習隊総督という立場を誇示するためにも、誰よりも先に上陸したいのだろう。行く末の試練よりも、みずからの立場を気にする。そんな者たちに、果たして本当に自分たちの国など築けるのだろうか。
 どうでも良かった。
 歳三は、骨の髄まで疲れ果て、己がなんのために戦っているのかも見失っていた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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