よみもの・連載

城物語

第四話『憎しみの城(長谷堂城)』

矢野 隆Takashi Yano

 蝉が山形の短い夏に焦るように、けたたましく泣いている。
 最上義光(もがみよしあき)は隣で涙を浮かべる妻の背に触れながら、眼前で笑う無垢(むく)な娘を見つめていた。小さく震える背中に手を置いていなければ、泣いてしまいそうになる。母が泣いているのだから、父である己は泣いてはならない。二人して泣けば、優しい娘は京までの長い道中、親を案じて故郷に未練を残してしまう。
 娘にはこれから、光輝く明日が待っている。
「それでは行ってまいります」
 引き戸が開かれた駕籠(かご)の前で、娘が笑った。弓形になった長い睫毛(まつげ)の間に、光るものが見える。優しい娘だ。母の涙に感極まったのだろう。
「息災でな、駒(こま)」
 義光は笑いながら、短い言葉を娘の駒に投げた。それ以上語れば、嗚咽(おえつ)が口から溢(あふ)れそうになる。
「はい」
 駒は力強くうなずいた。父である義光さえ見とれそうになるほどの、美貌である。
「身体には気をつけるのですよ」
 泣いて揺れる声で、妻が言った。顎(あご)を上下させた娘の桃色の頬を、涙が伝う。
 もう一度深く礼をして、駒が駕籠に身を沈めた。
 従者の手によって引き戸が閉じられる。
 幸せであれ……。
 義光は深く深く祈った。

 忘我の海をさまよっていた義光は、一度大きく息を吸ってから、周囲を見た。
 山形城の本丸館(やかた)の大広間に、家臣たちが並んでいる。左右に分かれて座る皆の顔は、一様に重い。
 山形城の本丸館は御所と呼ばれている。延文(えんぶん)元年、斯波兼頼(しばかねより)が羽州管領(うしゅうかんれい)として山形に入府した翌年、山形城は建てられた。斯波氏は後に最上と名乗り、山形城を代々の居城としたのである。永禄(えいろく)六年に義光は、父の義守(よしもり)とともに上洛した。その時のことを記した山科言継(やましなときつぐ)は、山形城のことを出羽国之御所と称している。最上氏は代々羽州探題(たんだい)を称しており、御所という呼称は、探題御所という意を持っていた。
 近隣の土豪や同族たちを次々と従え、義光は出羽二十四万石という広大な版図(はんと)を築いた。羽州探題として、義光は拡大した領土の各地に宿駅を設置し、宿駅をつなぐ伝馬や人々の往来のために道々の拡張をおこなった。また、領内を流れる最上川の整備も精力的におこない、酒田から山形、そして米沢方面へと船が往還できるようにしたのも義光である。人と物を動かすことで、銭を生む。銭が生まれれば、民もうるおう。拡大する領地を平穏無事に治めるためには、政(まつりごと)をおろそかにしてはならない。
 智謀策謀で手に入れた領地を、情と理で支配する。
 それが義光の思い描く武将の姿だ。しかし今、義光の心には、山形城を覆う霧のごとく、霞(かすみ)がかかっている。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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