第四話『憎しみの城(長谷堂城)』
矢野 隆Takashi Yano
慶次郎と名乗った男の槍先が、暴風を巻き起こしながら迫ってきた。
太刀で防げるような代物ではない。
義光は馬首をひるがえして槍を避けた。
「逃げるかっ」
楽しそうに言った慶次郎が追ってくる。すでに三度、穂先が義光を掠(かす)めていた。
「下郎めがっ」
義光と慶次郎の間に、家臣たちが壁を作る。
「邪魔をいたすなっ」
皆朱の槍が巻き起こす嵐に呑まれ、数人の兵が一瞬のうちに骸(むくろ)と化す。
死ねぬ、死ねぬ、死ねぬ……。
義光は悪鬼から逃げる。
「待てっ義光っ」
立ちはだかる兵を突き伏せながら、慶次郎が迫ってくる。味方を掻きわけて逃げる義光を追う慶次郎は、上杉の兵から単騎突出していた。
「退路を塞げっ」
義光の命を、兵たちが忠実に遂行する。義光と慶次郎が切り開いた道が、瞬く間に塞がってゆく。
戦局自体はこちらに分がある。すでに敵の殿は退き始めていた。それなのに慶次郎は、味方から離れるようにして義光だけを追ってくる。
「あの浪人者を討てっ」
義光は叫ぶ。
主を守るため、家臣たちが慶次郎を取り囲んで数人がかりで襲いかかる。それでも屈強な浪人は、驚くべき動きで槍を振るい、立ち塞がる者を、ばたばたと突き伏せてゆく。
人の所業ではなかった。
「最上義光っ」
慶次郎が叫んだ。
幾重にも味方に守られながら、義光は浪人を見る。敵の只中に単騎立ち、慶次郎は笑っていた。
「それほど命が惜しいかっ。敵に背を向けてまで、命に縋(すが)るか。恥知らずめが」
義光は黙ったまま慶次郎を睨む。
命が惜しい。
恥知らずでもいい。こんなところで死ねぬのだ。
「さらばじゃ」
無邪気な笑みを浮かべ、慶次郎が背を見せた。木々を震わす雄叫びをひとつ吐き、遠ざかってゆく味方めがけて馬を走らせる。慶次郎が進む先で、血飛沫(ちしぶき)が舞う。
「父上っ」
遠くなってゆく慶次郎の背中を虚ろな目で見つめる義光に、義康が声をかけた。
「いつ戻った」
「父上が危ないとの報せを受け、戻って参りました」
「そうか」
敵を追えと叱りつけるような気力は残っていなかった。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。