よみもの・連載

城物語

第四話『憎しみの城(長谷堂城)』

矢野 隆Takashi Yano

 山形城は盆地の底にあった。城は、蔵王(ざおう)へ続く東の山々のほうへと広がる城下町よりも低地にある。そのため山より降りてくる出羽の冷たい湿気が、平城である山形城を覆い、霞のなかに姿を消す日も珍しくなかった。それでもここ数日の霧は、長年この城で暮らしている義光でさえ息を呑むほどの凄まじさだ。
「殿」
 家臣の呼ぶ声がする。腹の底に力を込め、義光は現世に想いを引き戻す。
 国を二分する大戦(おおいくさ)が、西国で始まろうとしている。
 豊臣秀吉の死後、政を我が物にする徳川家康に、石田三成が反旗をひるがえした。家康に不満を持つ大名たちを仲間に引き入れ、挙兵したのである。
 三成が挙兵した時、家康は坂東(ばんどう)にいた。上洛の命に従おうとしない会津の上杉景勝(うえすぎかげかつ)を討伐するために、東海道の大名たちを引き連れて進軍中だったのだ。
 今から思えば、三成と景勝は裏で繋がっていたのかもしれない。いや、景勝の腹心である直江山城守兼続(なおえやましろのかみかねつぐ)あたりが、画策したことなのではないか。
 三成の挙兵を知った家康は、引き連れてきた大名たちを西に向かわせ、みずからは江戸へと戻った。奥羽の地に残された上杉の相手は、徳川に与(くみ)する義光と、陸奥(むつ)の伊達(だて)に任された。
 その上杉が山形に迫っている。率いているのは直江山城守だ。
 敵は総勢二万あまり。こちらは領内から掻き集めた七千。数の上では勝負にならない。しかし劣勢であっても、義光は戦うつもりだった。
 覚悟はできている。
 人がなんといおうと、これは私怨の戦だった。
 西国ではじまろうとしているのは、天下を二分する戦である。いずれが勝利するかによって、後の世が変わる大戦であった。どちらに与したかで、最上家の行く末は大きく変わる。もちろん敗者につけば、家の存続自体おぼつかない。それほど大きな岐路に立たされている。
 それでも、義光にとっては私怨なのだ。
 天下の趨勢(すうせい)も、最上家の命運も、眼中にはない。思うことはただひとつ。豊臣家を滅亡させるためならば、なんでもする。たとえ仏道に背き、地獄の獄卒に引き据えられる身となろうと構わなかった。
 義光は決して許さない。
 あの猿を、そしてあの猿に連なる者たちを……。
 娘が死んだ。難波(なにわ)の猿、豊臣秀吉の手によって、無垢な命は非情にも奪われたのだ。まだ十五歳だった。これから妻になり、子を成し、女として生きる喜びを謳歌するはずだった。
 なのに、駒は殺された。
 猿の養子である豊臣秀次(ひでつぐ)の、なんとしても駒を側室にしたいという熱望を、義光は受け入れた。
 あの時、強硬に断わっていればと、今でも思う。京へと向かう駒を笑いながら送り出した己を思い返すと、義光は狂おしいまでの自戒の念に捉われる。
 関白、秀次の側室。あの時は、良い縁談であるとも思った。子の無い猿にかわって、政のいっさいを取り仕切ることになる男の側室になるのだ。駒の行く末を考えればこそ、義光は我が身を切られるような想いに耐えて、娘を送り出した。
 しかし……。
 猿に子ができた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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