よみもの・連載

城物語

第五話『士道の行く末(五稜郭)』

矢野 隆Takashi Yano

 明治元年(一八六八)十月二十日夜、歳三たち旧幕軍は箱館(はこだて)の北、鷲ノ木(わしのき)に上陸した。
 榎本は箱館にいる新政府の府知事に向けて、旧幕軍が蝦夷島に上陸した意図を明記した書を携えさせ、使者を差し向けた。その頃すでに榎本らの上陸を知っていた府知事、清水谷公考(しみずだにきんなる)は、府兵二小隊を鷲ノ木村から内陸を箱館へと向かう途上にある大野村に派遣。蝦夷島警護を任されていた弘前(ひろさき)、松前(まつまえ)両藩の藩兵も大野村、藤沢村へ向かった。
 二十二日の夜、内陸より箱館へと進軍していた榎本の使者と、その後を進んでいた大鳥圭介隊の一部が留まっていた峠下村に、弘前、松前両藩の藩兵が夜襲をかけた。しかし弘前藩に死者二名が出、夜襲は失敗に終わる。
 翌日、府兵と弘前、松前の藩兵は箱館に向けて退却を始めた。夕刻には大鳥隊本隊が峠下村で先遣隊と合流し、敵のいる大野村と七重村(ななえむら)を同時に攻撃することを決定する。
 歳三は別働隊を率いて海岸線を鹿部、川汲峠(かわくみとうげ)と進み、そこから内陸に入って箱館を目指す。しかしそこにも当然、敵が待ち伏せていたのである。
 歳三の蝦夷島での戦いは、二十四日に始まった。
「いつ敵が現れるやもしれん。警戒を怠るなと皆に伝えろ」
 白馬にまたがり、歳三は伝令に告げる。歳三の言葉を聞いた洋式軍装に身を包んだ伝令は、一度おおきくうなずいてから、足早に去ってゆく。
 あまりにもあっけなかった。
 左右を山に挟まれた一本道である川汲峠に待ち伏せた新政府軍は、歳三が命じた夜襲によって、あっさりと撤退したのである。
 戦と呼べるような代物ではなかった。
 一刻も早く五稜郭(ごりょうかく)へ。
 歳三は進軍を続ける。
 凍った風が、躰を容赦なく責めたてる。少しでも気を抜けば、指がしびれて動かなくなりそうだった。手綱を握る手をしきりに締めたり緩めたりしながら、指の先に血を巡らせ続ける。京の厳しい冬でも、これほどの寒さは経験したことがなかった。
 本当にこんなところに人が住めるのかと思うが、現に人が住んでいる。この尋常ならざる冬を、人は越すことができるのだ。
 歳三が上陸した鷲ノ木にも、わずかではあるが和人(わじん)の集落があった。歳三が進む海岸線よりも内陸に行けば、村が点在しているという。
 歳三と離れ、遊撃隊、工兵隊とともに新撰組も内陸を進んでいる。当然、島田も傍にはいない。
 眼前に広がる景色が、白色に染まっている。
 積雪などという生易しいものではなかった。新政府軍たちの進軍のおかげで、五稜郭への道は踏み固められているが、左右には人の背丈を超すほどの雪が積もっている。すでにこれだけ降っているというのに、天は容赦するということを知らない。墨色に染まった分厚い雲で空を覆い、なおも雪を降らせる。
 このままゆけば、地上の雪が山の頂まで届くのではないのか。そうなってしまえば、蝦夷島はすべて雪に埋まってしまう。
 人はどうするのか。動物たちはどうやって生きているのか。
 歳三には見当もつかない。
「面倒な……」
 寒さが倦怠(けんたい)を募らせる。決死の覚悟すらない敵を思うと、身も心も冷めてゆく。あんな敵を相手に、どうやって士道を貫けば良いというのか。歳三は敵のことをしばし忘れ、凍えぬように躰の熱にだけ気をやることにした。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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