よみもの・連載

城物語

第六話『民次郎の義(弘前城)』

矢野 隆Takashi Yano

「今年の冬は、何人死ねばいがんべ」
 頬骨がやけに目立つ皺(しわ)まみれの顔をした老人が、か細い声でつぶやくのを民次郎(たみじろう)は腰に差した脇差に手を添えながら聞いた。黄ばんだ白髪をなんとかまとめて髷(まげ)を結っている老人の顔には、長年溜めつづけた疲れがこびりついている。民次郎はこの老人の笑顔を知らない。会う時はいつも躰(からだ)のどこかが痛いのかと思うくらいに苦しそうな顔をしている。だからといって病を得ているわけではない。津軽(つがる)に住む百姓たちは、老いも若きも目の前の老人のような顔をしていた。
 餓(う)えている。
 豊作も不作もない。年がら年中餓えている。三十年ほど前、岩木山(いわきさん)が噴火した。それから数年凶作になった。江戸で米が高騰し、侍たちが蔵にあった米を売り払ったせいで、津軽から米が消えたという。百姓たちの半分ほどがこの時に死んだ。食える物は草や土でも食い、それでも食べる物がなくなった百姓たちは、己より先に死んだ肉親をも食らったそうだ。津軽は地獄と化した。
 それからも不作のたびに百姓が犠牲になっている。
「去年は豊作だばっで、そったごと関係ね」
 先刻の老人が憎々し気につぶやいた。民次郎と老人の周りには、三十人ほどの顔が並んでいる。みな近隣の庄屋たちだ。車座になった輪の中央に置かれた蝋燭(ろうそく)のか細い明かりが、なんとかみなの顔をぼんやりと照らしていた。
 蜻蛉(とんぼ)が彫られた柄頭(つかがしら)が、どれだけ撫(な)でても暖かくならない。津軽の夜は九月の末ともなれば、骨に染みるほどの寒さである。目の前の蝋燭では暖など取れるはずもない。
 百姓でありながら脇差を腰に差す。それは庄屋の証であった。民次郎が親指の腹で蜻蛉の羽を探っていると、隣に座る老人がおもむろに口を開く。
「侍ぇが持っていくだはんで、儂等(わしら)にはなんも残んね」
 年貢を改める際、役人に賂(まいない)を渡さなければ、城に納められぬ米だといって何度も返される。粗悪な米を納めれば在を引き回された挙句、取上(とりあげ)の刑場で首を刎(は)ねられるから、仕方なく役人に袖の下を渡すことが慣習となっていた。
「なんが北方警護の功により十万石に加増じゃ。石高が増えても儂等の暮らしはよくなんね。それどころかますます搾り取られるばかりだべ」
「作太郎さんの言う通りだ」
 四十がらみの男が老人の名を呼んだ。老人は建石(たていし)の庄屋、作太郎といった。庄屋たちをここに集めた張本人である。
 蝦夷地(えぞち)に露西亜(ロシア)の船が頻繁に出入りするようになった。そのため幕府は東北の諸藩に蝦夷地警護を命じた。蝦夷地に一番近い津軽も当然、その任を帯びることになった。その功によって津軽は四万七千石であった石高を加増され十万石となり、分家である黒石(くろいし)六千石に蔵米四千石の補助を与えて大名に昇格させた。
 いまも蝦夷地警護の任は継続しており、彼等を支えるために百姓たちは厳しい負担を強いられることになった。それだけではない。寛永(かんえい)四年(一六二七)に焼失して以来、喪失していた天守閣を二ノ丸の辰巳櫓(たつみやぐら)を代用して作り変えたいと幕府に具申し、許された。しかし実際は辰巳櫓を取り壊して三層の天守閣が作られたのである。これにもまた百姓たちは人足として駆り出された。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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