連載
城物語
第六話『民次郎の義(弘前城)』 矢野 隆 Takashi Yano

        *

 身を強張らせる三郎左衛門の目は、青々とした畳の目を見つめている。その腰には、民次郎の脇差があった。
「山本」
 頭を下げた三郎左衛門の耳に、数えるほどしか聞いたことのない声が触れる。しかもみずからの名を呼ばれるなど初めてのことだった。
「はっ」
「面を上げよ」
 言われた通りに顔を上げて背を正す。弘前城の大広間の一段高くなった上座に、津軽の主、寧親が座っていた。
「其方が賀田門に駆けつけ百姓たちを取り成してくれた故、大事にならずに済んだ。よくやってくれた。礼を言うぞ山本」
「勿体(もったい)無き御言葉」
 素直に喜べる気分ではなかった。三年の免税という勝利を勝ち取ったが、いまだ不作に苦しむ百姓たちの切実な想いを考えれば、笑ってもいられない。
 山本はふたたび頭を下げた。主を見ていると、胸の裡(うち)にたぎる焔(ほのお)が言葉となって溢れだしてしまう。それだけは抑えなければならなかった。
「御主の武勇は儂の耳にも届いておる」
 主にも聞こえた武勇で、はたしていったい何をしたというのか。苦しむ百姓たちを威し、追い払っただけだ。
「今度(こたび)の一件、儂は御主に礼をしたいと思うておる。欲しい物があれば何なりと申せ」
 無い。
 いや……。
 ある。
 寧親のふくよかな顔を見て、三郎左衛門は一度、腰の脇差の柄頭に刻まれた蜻蛉を指で撫で、腹の底から言葉を吐いた。
「捕えられて後、牢のなかで己が首謀者であると申しておる鬼沢村の民次郎の命をどうか御救いいただきたい」
「なんと」
 主が言葉を失い、目を真ん丸にして三郎左衛門を見下ろす。動じずになおも押す。
「彼(か)の者は死なすには惜しい男にござります。これからの津軽になくてはならぬ庄屋となりましょう」
「褒美に望むものが百姓の命か」
 身分も高価な物も食い物も、命の前には安過ぎる褒美だ。
 命。
 これ以上の褒美はない。
「どうか民次郎をお許しくださいませ」
 三郎左衛門は畳に額を打ち付けながら頼む。あまりの鬼気迫る武人の哀願に、主が動揺しているのが気配からありありと解った。
「ようやく民の救済策も定まった。笠原を更迭し、頼母に領国の再建を命じた。これからは儂も外ばかりを見ずに、領国を顧みようと思うておる。民がおればこその主である故な」
 民次郎たちの勇気が、寧親を変えた。三郎左衛門たち家臣にすらできなかったことだ。
「どうか民次郎を……」
「首謀者とみずから申しておるのであろう。門を抜けて城内に入ったのじゃ。誰かが死なねば示しはつくまい」
「だとしてもっ」
「考えておく」
 顔を上げた三郎左衛門の視線の先で、渋面の主が去ってゆく。



 
〈プロフィール〉
矢野 隆(やの・たかし)
1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。
Back number
第七話『姉の背中(白石城)』
第六話『民次郎の義(弘前城)』
第五話『士道の行く末(五稜郭)』
第四話『憎しみの城(長谷堂城)』
第三話『裏切りの城(今帰仁城)』
第二話『天命を待つ(萩城)』
第一話『戦人の城(伊賀上野城)』