よみもの・連載

城物語

第六話『民次郎の義(弘前城)』

矢野 隆Takashi Yano

「寝姿から箸の上げ下げまで、おめとはなもかも反りが合わね。子がおらんうちはそっでも耐えられたが、もう耐えらんね。この夜のうちにこの家を出て、種市村に帰ぇれ」
 ひとつとして本心ではなかった。帰り道で用意した言葉である。考えている最中から、胸が痛んだ。これを妻に浴びせるのかと思うと吐き気すらした。すべて嘘じゃ忘れてくれと言って、目に涙を溜めた妻を抱きしめてやりたい。安らかな寝息をたてるをん・・の薄紅色の頬に触れながら三人で眠りたかった。しかしそれは二度と叶(かな)わぬ夢である。
 柄頭を指で探った。作太郎の家に伝わる宝であった脇差である。
──おめは良い庄屋になるべ。儂はおめを見込んでこの刀をける。もらってけろ民次郎。
 そう言って笑った老いた庄屋の顔を、民次郎は今でもはっきりと覚えている。
 蜻蛉は前にしか飛ばぬ勝ち虫だ。武士にとっては縁起の良い虫である。
 民次郎は作太郎たちとともに走りだした。柄頭に止まる蜻蛉のように、もう後には引けない。もはや我が身は、民次郎の意のままになるものではないのだ。
「はよ去(い)ね」
 言葉を浴びせる度に見えない杭(くい)が胸に突き刺さる。泣きたいのは御主(おぬし)ではない。私だ。後から後からこぼれて来る涙を拭きもせず娘を抱いたまま夫を見つめる妻に、民次郎は冷淡な眼差しをむけつづける。
「どんだなして……」
「おめと話すことはなんもね。離縁だ。身支度せんでええ。はよ種市村に帰ぇれ」
「なすて」
「はよ」
 娘が起きぬよう気をくばりながら、それでも厳しく民次郎は言った。それ以降、妻は黙ったまま夫を見つめている。民次郎も心を殺した目で受け止めた。
「へば」
 四半刻ほど経った後、うなだれた妻は立ち上がった。見送りはしなかった。

 文化十年(一八一三)九月二十八日。前夜から雨だった。しつこく降り続いた雨は、東の空がぼんやりと明るくなる頃には氷雨となった。
 民次郎は八里離れた建石村から百姓たちを引き連れてきた作太郎と落ち合い、弘前(ひろさき)城の近くを流れる岩木川の河原へとむかった。他の庄屋たちとの合流場所である。作太郎と民次郎が河原にむかう道中、各地から集まってきた百姓たちは八百人を越えた。そして岩木河原で唐傘連判に名を連ねた庄屋たちと合流し、城へとむかう道々でも百姓は集まりつづけ、ついには二千人に至ったのである。
 百姓たちは筵旗(むしろばた)や実らない青いままの稲を手に持ち、民次郎たちに続いて城を目指す。
「昨日、城内で茶会が開かれたで。城番の侍らも夜遅くまで酒宴だっきゃ。こんまま無事に城まで辿(たど)り着けるべ」
 民次郎の隣を歩く作太郎が氷雨で躰をびっしょりと濡らしながら言った。老いた身にこの雨は辛(つら)かろう。一揆のことよりも、作太郎の躰が案じられた。
 眼前に見える城に目を定めたまま、民次郎は老齢の庄屋に告げる。
「なんがあっても城に辿り着くろ。そしてこれを寧親(やすちか)様に」
 言って胸に手をやる。固く閉じた襟の下には、みなの想いが詰まった訴状が入っていた。
 津軽家九代の寧親は分家の黒石から津軽家を継いだ。津軽で天明(てんめい)の大凶作のとき次々と百姓たちが死んでゆくなか、寧親が治めていた黒石では城の蔵米を解放し百姓の死を食い止めた。蝦夷地警護による負担や本丸普請など、民を苦しめるような政(まつりごと)をしてはいるが、話の解らぬ主(あるじ)ではないはずだ。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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