第六話『民次郎の義(弘前城)』
矢野 隆Takashi Yano
民次郎たちは寧親への淡い希望に賭けている。
「頼んだけ民次郎」
寒さで硬くなった喉から絞り出すようにして言った作太郎に、民次郎はちいさくうなずいた。
今日は脇差は差していない。刃傷(にんじょう)を避けるため、集う者すべてに刃物を持つことを禁じていた。
すでに城は目の前である。
弘前城は、二代藩主津軽信牧(のぶひら)によって築かれた。四万石程度の大名の城としては城地は広大で、三十万石ほどの大身の大名の城に匹敵すると言われている。津軽平野に建てられた平城であり、本丸の周囲を六つの廓(くるわ)が取り囲んでいた。
城の表門にあたるのが民次郎たちが目指す亀甲門(かめのこもん)である。しかしここに集う者たちは、すべてあの門より奥に入ったことなどなかった。
百姓である身で城に入る。そう考えるだけで、民次郎の身は寒さ以上に引き締まった。
作太郎が策したとおり、城の門兵はいなかった。身軽な者が数名、堀にかかる橋を渡り、左に直角に折れた先にある門の塀に取りつき裏側から閂(かんぬき)を外すまで、なんの騒ぎも起こらなかった。内側から城の門が開くと、民次郎の背後に立つ男女入り交じる二千人が静かに声を上げる。隣にいた作太郎も思わずおおきくうなずいた。
民次郎はいっさい感情を表にあらわさずに、みなの先頭に立って門を潜る。しかし心のなかは穏やかではなかった。すでに城中、もはや後戻りはできない。
二千人を引き連れて民次郎は城内に入った。
亀甲門から真っ直ぐのびる道のむこうに内堀がある。その橋の先に次の関門となる賀田門(よしたもん)がそびえていた。賀田門を越えればそこはもう二ノ丸である。
果たしてそこまで行けるか。とにかく止められるまで進むのみだ。唇を固く結んで民次郎は歩む。その右手は氷雨から守るように、懐の訴状に添えたままだ。躰の熱を吸った紙が燃えるように熱かった。
「御仏が見ておられる……」
目を賀田門へとつづく道に落とし、みずからの足がおもむく先を見ながら作太郎がつぶやいた。
「御仏は我等を御見捨てではなはんで、亀甲門を潜れだべ。儂等の願いは叶うろ民次郎」
作太郎がいたからこそ、庄屋たちは集まった。作太郎は民次郎だけではなく、多くの庄屋たちを親身になって世話してきている。そんな作太郎が声を上げたからこそ、これだけの百姓が集まったのだ。若い民次郎が声を上げても、ここまでの賛同を得られはしなかっただろう。長年民とともに苦しんできた作太郎の身を裂くがごとき声に、三十人もの庄屋が耳を傾け、ともに死ぬ覚悟を決めたのだ。
「御仏の力でね」
燃えるように熱い訴状を抱いたまま、民次郎はつづける。
「作太郎殿の想いが亀甲門を開かせたずはんで。願いが叶うんなら、そは作太郎殿がおったからだべ」
「儂などおってもおらんでも同じじゃ。誰が庄屋でも、儂等は起ったじゃ」
この人を死なせてはならない……。
民次郎は強く想う。この一件が収まった後も、作太郎はみなの支えになるべき人である。作太郎が生きていれば、たとえみなの想いが侍に通じなくても何度でも立ち上がることができる。不作と年貢にあえぎ、多くの者が死んだとしても、作太郎と志をひとつにして戦う庄屋たちがいれば、津軽の百姓たちは生きて行ける。
だからこそ民次郎には為(な)さねばならぬことがあった。
「行くべ」
目前に迫った賀田門を目指しながら作太郎に言った時、遠くに見える櫓で激しく太鼓が打ち鳴らされた。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。