連載
城物語
第六話『民次郎の義(弘前城)』 矢野 隆 Takashi Yano

        *

 城から聞こえてくる太鼓の音で、大物組組頭、山本三郎左衛門は飛び起きた。家中の者に命じ、素早く袴(はかま)を着け終えると、槍(やり)を小脇に挟み馬に飛び乗り城へと駆ける。途上、斉藤堂之助の道場に立ち寄り、門弟十数名に同道を命じた。
 三郎左衛門が城に辿り着いた時、すでに亀甲門は開かれていた。駆けてくる門弟たちをそのままに、一気に門を潜って賀田門へとつづく道へ出ると、変事の正体が眼前に広がっていた。
「このような所まで……」
 苦々し気につぶやきながら、三郎左衛門は馬を走らせた。
「退(さ)がれっ、退がらぬかっ」
 宝蔵院(ほうぞういん)流を修め、尽心流なる流派を立ち上げた先祖を持つ三郎左衛門は、みずからも武芸に通じていた。その腕は城下に知らぬ者はなく、鬼三郎左衛門という異名を口にする者もいるほどである。
 荒ぶる馬の背から三郎左衛門は百姓たちを見た。鍬(くわ)や鎌などの人を傷付けるような道具を持つ者はひとりもいない。門に殺到している男たちも青稲や筵旗を手にして、棒を持って行く手を阻んでいる番士たちを胸や腕で押すだけであった。
「よいかっ、手荒な真似はするなよっ」
 道場から連れて来た門弟たちに命じる。こちらが危害を加えなければ、百姓たちは手荒な真似はしない。
 あれは暴徒ではない。理を識(し)る庄屋に率いられた上訴を期した一団だ。話をすればかならず解るはず。
 三郎左衛門は馬を群衆のなかへと走らせた。
「退れっ、退がらぬかっ」
 蹄(ひづめ)や馬体で民を傷付けぬよう、細心の注意をはらって馬を駆る。刃で人を引っかけることがないように、脇に挟んだ槍の穂先は上にむけていた。
「山本様だべ」
「鬼三郎左衛門様じゃあっ」
 方々から声が聞こえる。百姓たちの間にも、三郎左衛門の武勇は轟いていた。
 門に近づけば近づくほど人の圧が強くなり、馬が先に進むのをためらう。黒毛の愛馬が、蹴飛ばしていいかと首を横にむけて目で問うてくるたびに、三郎左衛門はわずかに手綱を引いて止めろという意思を伝える。
「退かぬと斬るぞっ」
 郡奉行、工藤仁右衛門の悲鳴にも似た声が群衆の怒号を掻き分け三郎左衛門の耳に届いた。誰もが三郎左衛門のように人並みはずれた胆力を有しているわけではない。血相を変えて迫りくる百姓の群れに圧倒されて、仁右衛門の心は限界を迎えようとしていた。
 鼻から大きく息を吸い、丹田に気を溜める。人の群れのむこうに見える門めがけて、三郎左衛門は気を込めた言葉を吐いた。
「工藤殿ならぬ。ならぬぞっ」
 強弓から放たれた矢と化した咆哮(ほうこう)が、百姓たちを貫き門に突き立った。
「しょっ、しょうひぃ」
 承知と言ったのか。三郎左衛門の声に射られた郡奉行の悲鳴が、雨が止んで朝靄(あさもや)が煙る空に響き渡った。



 
〈プロフィール〉
矢野 隆(やの・たかし)
1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。
Back number
第七話『姉の背中(白石城)』
第六話『民次郎の義(弘前城)』
第五話『士道の行く末(五稜郭)』
第四話『憎しみの城(長谷堂城)』
第三話『裏切りの城(今帰仁城)』
第二話『天命を待つ(萩城)』
第一話『戦人の城(伊賀上野城)』