よみもの・連載

城物語

第六話『民次郎の義(弘前城)』

矢野 隆Takashi Yano

「本日はわいのような者のために、遠いところを御苦労様でごぜぇます」
 言ってふたたび頭を下げる。そこに左太夫の甲高い声が降って来た。
「暴徒を率いし其方の罪は重い。この家は役人によって取り囲まれておる。逃げ……」
「岩殿」
 三郎左衛門が止めた。
「民次郎」
 鬼と呼ばれる男の優しい声を受けて顔を上げる。鬼は微笑んでいた。
「其方は逃げぬな」
「へぇ」
 民次郎も笑った。
「庄屋の彦兵衛、五人組の忠三郎と甚三郎もともに捕える」
 右の眉をひくひくと震わせて、左太夫が言った。民次郎は目を伏せてうなずく。父の彦兵衛も捕えられるが、連判状に名はない。罪は軽いはずだ。
 三郎左衛門がふたたび声を投げる。
「昨夜は眠れたか」
「いんや、槍を構えた山本様の御顔が浮かんで眠れんでした」
「恐ろしかったか」
「へぇ」
 三郎左衛門は大声で笑った。それを怪訝(けげん)な表情で左太夫が見ている。ひとしきり笑ってから、三郎左衛門が民次郎に語った。
「其方等の沙汰はまだ出ておらぬ。如何様な仕置きになろうと覚悟はできておろうの」
 民次郎は黙ってうなずいた。
「よき顔じゃ」
 鬼に褒められ、少し誇らしかった。

 民次郎たちが城に連れて行かれてからひと月あまりが経過した。その間、調べらしい調べもなく、庄屋たちは牢(ろう)に繋(つな)がれていた。みなが四、五人ずつで入れられているなか、民次郎ただ一人が独牢である。捕えられてからというもの、己が首謀者だと言い続けてきた故の判断であろうと民次郎は思っていた。
 強訴に及んだとはいえ、民次郎たちは庄屋である。牢内での待遇も普通の罪人とは違っていた。座敷というわけにはいかないが、寝食に不自由することはない。
 格子の隙間から十月の風が流れこみ、民次郎の頬をなでる。端坐し瞑目する躰の芯が、冷たさで震えた。津軽の厳しい冬が、もうそこまで来ている。年貢の納入は大晦日(おおみそか)と決まっていた。このままなんの沙汰もなく、取り立てが始まれば、天明の飢饉(ききん)なみの死人が出るだろう。
「民次郎」
 馴染みになった老いた牢番が声をかける。閉じていた瞼を開き、民次郎は平伏した。
「客じゃ」
 牢番を見た民次郎は、その背後に立つ侍を見て思わず口を開いた。
「山本様」
 三郎左衛門が立っていた。勇猛な組頭は、牢番の脇を抜け、格子の前に立つ。
「領内の百姓たちへの沙汰が定まったぞ」
 三郎左衛門の言葉を、民次郎は伏したまま聞いた。胸が激しく鳴っている。これまで侍には散々苦しめられてきた。また同じことの繰り返しになるのか。不安が民次郎を苛(さいな)む。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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