よみもの・連載

城物語

第六話『民次郎の義(弘前城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

 十一月二十六日の明け六つ。取上村の仕置場で、民次郎の刑は執行されることになった。
「高札を立てておらぬのだぞ」
 差配の侍が刑場に張り巡らされた柵のむこうを見回しながら言った。
 沙汰が決した翌日に刑を執行することになったため、民次郎の斬罪を報(しら)せる高札は立てられていない。それでもどこからか聞きつけた者たちが、夜のうちに刑場に集い、その数は民次郎が現れた時には五千人を超えていた。
「おめのおかげだっ」
「ありがどごぉずっ」
「こさいる者はみな、あんたが助けてけだんだっ」
 女たちの泣き声のなかに轟(とどろ)く男たちの言葉が、刑場の筵のうえに座らされた民次郎の耳に届く。
 民次郎は誰に言われるでもなく手を合わせて深く頭(こうべ)を垂れた。
 四万俵の援助と三年の免税……。
 十分過ぎるほどの成果である。
「良(え)がった」
 しみじみとつぶやく。
 そのうえ有難すぎる沙汰である。
 斬罪は民次郎ひとり。作太郎は鞭打ちと永牢だと牢番に聞いた。年老いた身に鞭打ちと長い投獄は厳しいかもしれない。だがきっと作太郎は生きて戻る。そして主の恩情によって生き延びた百姓たちを、かならず導いてくれるはずだ。
 犠牲になるのは己ひとりでいい。
 初めから決めていた道だ。思い描いた以上に晴れ晴れとした道程となった。これ以上の結末はない。
「民次郎」
 床几(しょうぎ)に座る侍がつづら折りの書状を広げて読み始めた。

        *

「頼母様からの御使者にござるっ」
 家の者がそういって仏間に飛び込んで来た。死に行く民次郎のために読経していた三郎左衛門は飛びあがるようにして立って、使者のもとへ急いだ。
「殿直々の命により、民次郎を助命いたすとの……」
 そこまで聞くと三郎左衛門は、使者の手から書状を奪い取って馬にむかった。
 ふた月前、櫓の太鼓を聞いた時のように裸馬に飛び乗る。
「急げっ。まだ間に合うっ」
 三郎左衛門は馬腹を蹴った。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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