よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

「兄者がおったから、儂は上方で太閤に奉公できたとじゃ。儂が島津ん当主やったら、薩摩におらんといかんじゃろうが」
「やったら、わいは本心からおいに後ろめたかと思うちょっとか」
「当たり前じゃ。儂が裏表の好かん男や言うとは兄者が一番知っちょろうが」
 ずっとずっと、兄に謝りたいと思っていた。
 本当ならば九州全土の覇者であるべきだった兄が、頭を丸め太閤の前にひれ伏した時の悔しさを、義弘は生涯忘れないだろう。義弘にとって太閤はどれだけ厚遇を受けようとも、敵であった。憎んでも憎んでも憎みたりない男だ。九州制覇という、兄弟四人で描いた夢はあと一歩のところで難波(なにわ)から来た猿にかっさらわれてしまった。皺くちゃな猿の細い首を幾度捻(ね)じり折ってやろうと思ったことか。
 兄は知らない。
 語ったこともない。
 だから軋轢(あつれき)が生まれた。
 太閤に贔屓(ひいき)され、島津の当主同然に扱われ、薩摩を任され、兄を大隅に追いやった時にも、義弘は弁解しなかった。弁解すれば、言い訳にしかならないと思ったからだ。本当は太閤を誰よりも憎んでいると言ったところで、今さら難波の猿に刃向える訳もなく、唯々諾々とその命に従わざるを得ない。つまり義弘が薩摩を任され、兄が大隅に追いやられるという事実は曲げられないのだ。その上で、いくら太閤を憎んでいると言ってみても、ただの言い訳、兄の機嫌を取る調子の良い繰り言にしかならない。
 ならば語らぬが良い。
 そうやって兄と弟の間に出来た溝は、日を追うごとに深くなっていった。
「儂はなぁ兄者」
 黙したまま兄は続きを待っている。照れくさくなった義弘は、ふたたび顔を横にむけ陽に照らされた庭を見た。
「兄者のことを恨んだことは一度もなかど」
 いったい兄となにを話しているのか。なにを言い争っていたのか。
 義弘は見失いはじめていた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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