よみもの・連載

城物語

第十話『兄ゆえに弟ゆえに(富隈城)』

矢野 隆Takashi Yano

        *

 己の所為……。
 たしかに兄の言う通りかも知れない。
 義弘は固く目を閉じたまま思った。
 己が死に場所を望んだ所為で、豊久も家臣達も死んだ。兄の意図を素直に聞き入れて、義弘が静観を決め込めば、誰も死ななかったかも知れない。
 しかし……。
 しかしである。
 傍観し、曖昧な立場を取れば、戦が終わった後に勝者敗者双方から咎(とが)めを受けるは火を見るより明らかだった。勝とうが負けようが、黙っているよりも増しだと義弘は思ったのである。
 義弘は武士だ。
 目の前ではじまった戦を、他人の喧嘩(けんか)だと言って目を背けるような真似はできない。
 たしかに死に場所を求めた。しかしそれは島津のためでもあったのだ。己が犠牲になれば、たとえ与したほうが負けようと、兄の面目は立つ。敗者に与した張本人が死んでいるのだ。兄は弟の独断だと言えば言い逃れることができるではないか。
 たしかに多くの家臣を死なせてしまった。しかしそれは本当に、すべて義弘の所為なのか。兄に責はないというのか。
 もし己の所為だなどと兄が言い出さなければ、義弘は妙なことは考えず己一人の所為だと素直に思っていただろう。兄のひと言が、義弘の心にいらぬ邪念を抱かせた。
 豊久や家臣達の死は、己ひとりが背負うべき責なのか。
 違う。
 閉じていた瞼を開き、義弘は兄に目をむけた。
「兄者が言う通りじゃ。豊久を死なせたのは儂じゃ」
「そいがわかっとるなら……」
「じゃっどん、儂は武士としての意地を貫き通したとじゃ。薩摩でなんもせんかった兄者にとやかく言われることはなか」
「まだそげんこつを……」
「儂が立たんかったら、島津の面目は立たんかった」
 兄がなにかを言おうとするのをことごとく断ち切って、義弘は語る。
 論で勝てる相手ではない。とにかく機先を制してまくしたてるのみである。昔から兄に言い負かされ続けてきた。話しているうちに、なにを語っていたのか良くわからなくなり、気付いた時には兄の思うままに事が動いている。そうならないためには、兄に語らせないことだ。
 物心が付いてから六十年あまり。生まれた時から己の目の前を歩んでいる兄に対して、義弘が培った策であった。
「今度の戦はどっちにもつかんでおれるようなものじゃなかったとじゃ。そいは兄者にもわかっとったとじゃなかとか。わかっとって兄者は兵を送らんで、儂を上方に残したとじゃなかとか。そん上、儂に従うち言う国許ん者等を、豊久といっしょに上方に送ってしもうて、自分のことば快う思うとらん者等を一気に片付けようち思うたとじゃなかとか」
「なんば言い出すとじゃ。そげなこつ考える訳がなかろうが」
 眉間に皺を寄せて兄が言った。このまま語らせては、また兄の調子に巻き込まれるだけである。義弘は兄が言葉を繋げようとして息を吸った隙を狙って声を浴びせた。
「儂が動くことはわかっとった筈じゃ。薩摩ん武士の体面は儂に任せ、見殺しにするつもりやったとじゃなかとか。そいなら、豊久を殺したとは儂じゃなか。兄者じゃ」
「そげな屁理屈」
「屁理屈じゃなか。こいは道理じゃ。道理ちわかっとるから、兄者はそうやって逃げようちしとるとやなかとか」
「おいは逃げちょりゃせん」
「いつも兄者は難しかことば言って儂を煙に巻いて逃げる。儂はそいが童ん頃からすかんかったとじゃ。本当のことば言わんか兄者」
 心底からの本心である。兄は言葉で逃げるのが得意だ。
 だが今日は逃がさない。
 関ヶ原の戦のように、一直線に突き進み、兄の懐を抉(えぐ)る。
 済まなかった。
 そう兄が謝るまで、義弘は前進を止(や)めないつもりだ。
「なんとか言わんか兄者っ」

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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