連載
城物語
第二話『天命を待つ(萩城)』 矢野 隆 Takashi Yano

 ふたたび基直が前を向いて登り始めた。吉元は立ち止ったまま、灯火が足元を照らすぎりぎりのところまで基直との間合いを離してから、石段を踏んだ。
 足を進めながら、また思索の海へと漕ぎだす。
 周南の言葉が脳裏に響く。
 学問は人を曲げるものであってはならぬのです……。
 つまり、毛利の無念や徳川への怒りに気づかせることが、教えによって人を曲げることだと周南は言いたいのか。それならば、学びという行為自体が、人を曲げる行いに過ぎないではないか。
「いや、違うのか」
 基直に聞こえぬほど微かな声で、吉元はひとりつぶやく。
 和風甘雨……。
 周南はそう言った。
 和やかな風のように、甘い雨のように、学ぶ者に寄り添う。決して学ぶことを強要しない。気付くのは、考えるのは、学ぶ者本人なのだ。師が望む方へと誘導はしないと、周南は言っている。
 周南の言葉を受けて必死に考えている吉元もまた、荻生徂徠の教えの道に踏み込んでいるのだろうか。時に厳しく、時に優しく投げかけられる周南の言葉によって、吉元は変わった。周南の望む形ではなく、自身の想いによって吉元は変わったのだ。
 目の前の基直は、学問を欲している。吉元と満足に語らい合いたいと、基直は願い、浅薄な己を恥じ、学びたいと思った。その純心さを、己の妄執によって曲げてよいのか。それは、吉元自身の命を、基直に押し付ける行為ではないのか。
 周南の声が耳の奥で鳴る。
 殿の命は殿だけの物。私の命もまた、私のみの物にござりまする……。
 そして基直の命は、基直の物なのだ。
「殿」
 思索にふける吉元の頭に、基直の声が降ってくる。見上げれば、行く手に門があった。門柱に、一文字に三ツ星の家紋が描かれた提灯がかかっている。
「儂じゃ、門を開け」
 不寝番にむかって叫ぶ。
 門扉の前で待つが、開く気配はない。
「門を開けよ」
 なにやら忙しない音が聞こえ、門扉が開いた。
「な、何故……」
 詰丸の番を任されているのであろう大柄な男が、驚いた顔で出迎えた。周囲には、男の部下たちが左右に並んで、頭を下げている。
「見事な満月であった故、ここから見たら美しかろうと思ってな。誰にも告げずに登ってきたわ」
「はぁ」
 突然の主の行いに、皆が戸惑っている。どうして良いのか解らぬといった様子の家臣たちを置き去りにして、吉元は詰丸で一番高い櫓(やぐら)へと登った。基直も後をついて来る。
 切られた窓から満月の白い光が差し込み、煌々(こうこう)と室内を照らす。
「天にも命があるか」
 腕を後ろに組んで窓の前に立つ。わずかに息が上がっていたが、悪い心地ではなかった。夜空を青く染めながら輝く純白の月を見上げ、周南の言葉を思い出す。
 人は死ぬが、天は生き続けまする。時が流れれば、おのずと天の命も変わる……。
 天は死なぬと周南は言った。人が死に、時が変わっても、天はそこにあり続ける。吉元より数代後の当主も、こうして萩の城から月を見上げることだろう。その時も、月はなにひとつ変わらず、こうして輝いているのだ。



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〈プロフィール〉
矢野 隆(やの・たかし)
1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。
Back number
第二話『天命を待つ(萩城)』
第一話『戦人の城(伊賀上野城)』