よみもの・連載

『ナポレオン』全3巻完結記念 特別対談 佐藤賢一 × 矢野隆
―英雄を描くということ―

 
構成/宮田文久
撮影/織田桂子

矢野
そうしたナポレオンの人生を書いてこられて、率直にいって、執筆のキツさはありませんでしたか。このような主人公と共に歩むというのは、僕が想像するかぎりでは、ものすごく精神力の要る闘いだったんじゃないか、と思うのですが……?
佐藤
たしかに、それはもう、ヘトヘトになるくらいでした(笑)。ものすごく疲れましたね。
矢野
そうですよね……(笑)。
佐藤
ただ、以前に僕は『小説フランス革命』(集英社文庫、第一部・第二部各全9巻)を書いていましたから、そのほうが精神的にはしんどかった、という思いがありますね。フランス革命は事態が進行するに従ってどんどんと殺伐としていくじゃないですか(笑)。ずーっとその緊張状態のなかで書いていかなきゃいけないという辛(つら)さがあったかな。他方で、もちろんナポレオンの人生は長いし、エネルギッシュな生き方を追いかけていく大変さはあるけれど、それは体力的な辛さなんです。
矢野
フランス革命は社会構造の現象で、ナポレオンは個人ですよね。生き様を書くには厳しいこともあるけれど、ナポレオンという英雄に佐藤さん自身も寄り添えるというか、頼れるところがあった、ということなのでしょうか。
佐藤
そうですね。やはりナポレオンには圧倒的な個性があるし、何だかんだいって僕はたぶん、ナポレオンが好きなんだと思います(笑)。体力的には厳しかったけど、並走していきたいという思いがあったから、精神的にはそんなに辛くなかったですね。
矢野
なるほど。僕としては、佐藤さんが「英雄」というものをどう捉えていらっしゃるのかにも、興味があります。英雄というのは非常に抽象的な言葉で、いろんな歴史や文脈のなかで使われるものですが、では「英雄とは何ぞや」と問われると、なかなか答えがないとも感じます。佐藤さんは、どうお考えですか。
佐藤
何でしょうね……よくヨーロッパで語られるところの「英雄」というのは、それこそナポレオンの頃もいわれていたんですけれども、アレクサンドロス大王が雛形(ひながた)なんですよね。そこからカエサルがいて、その後は誰かというとき、いろんな名前が挙がるんだけれども、結果としてナポレオンが登場する。こう考えると、圧倒的に戦争が強いと「英雄」と呼ばれやすい、ということかもしれません。
しかも、ナポレオンの場合はただ強いというだけではなく、「勝ち方がすごく気持ちがいい」ということがあったんじゃないかな、と。それで周りがうおーっと盛り上がってしまう、その勢いを生みだす人が「英雄」なのかな、という気がしますね。
かつ、その人気が廃れない。否定的なものも含めて評価はいろいろあるんだけれど、基本的にはナポレオンはずっと人気があるし、「ナポレオンじゃなきゃできなかったよね」と認められている、ということも重要かもしれません。
矢野
たしかに、まさに「英雄」たるゆえんですよね。
プロフィール

佐藤賢一(さとう・けんいち) 1968年山形県生まれ。93年『ジャガーになった男』で第6回「小説すばる」新人賞を受賞し、デビュー。99年『王妃の離婚』で第121回直木賞、2014年『小説フランス革命』で第68回毎日出版文化賞特別賞、20年『ナポレオン』で第24回司馬遼太郎賞を受賞。

矢野隆(やの・たかし) 1976年福岡県生まれ。2008年「蛇衆綺談」で第21回「小説すばる」新人賞を受賞し、デビュー。09年、同作を『蛇衆』と改題して刊行。21年『戦百景 長篠の戦い』で第4回細谷正充賞を受賞。時代・歴史小説を中心に執筆し、人気ゲームやマンガのノベライズも手がける。

江口洋(えぐち・ひろし) 集英社文庫編集部・部次長