よみもの・連載

『ナポレオン』全3巻完結記念 特別対談 佐藤賢一 × 矢野隆
―英雄を描くということ―

 
構成/宮田文久
撮影/織田桂子

佐藤
たとえばイタリアに取材に行ったとき、第一次・第二次イタリア遠征のことがありますから、「ひょっとしたらナポレオンって嫌われているのかな」と想像していたんですよ。こんなに戦争ばかりしていたナポレオン、その戦跡を見たいだなんていったら、「帰れ!」ぐらいのことはいわれるかな、と。ところが、イタリアの人も意外とみんな、ナポレオンのことが好きなんですね(笑)。ナポレオンの記念館もちゃんとつくってある。どうして好きなのかと聞いたら、要は、ナポレオンはハプスブルク家を追い出してくれたんだ、と。
矢野
やはり、そこなんですね。
佐藤
そのことがイタリア統一の第一歩だった、自分たちだけだったらイタリア統一はできなかった、と。ナポレオンが来て、ハプスブルク家さえも追い出せることがわかったから、イタリアを統一していけたんだということなんです。
矢野
歴史的な行為と、それをめぐる人の感情は、また別ということがありますよね。行為だけを見ると、以前に佐藤さんが想像していらしたように、イタリアの人はナポレオン嫌いなんだろうな、と思う。でも実際に行ってみると、心情の部分で、実はナポレオン好きである。歴史とその血肉というのは、また違うものがあるのでしょうね。
佐藤
まさに、おっしゃる通りですね。別の角度でいうと、ナポレオンって、身長が低かったとよくいわれますよね。いうほど低くはなかったという話もあるのですが、とはいえ160cm台ですから、ゲルマン民族の末裔(まつえい)だったヨーロッパ貴族たちのほうが圧倒的に大きかったはずなんです。つまり貴族とナポレオンは、ただ身分が違うだけではなく、体格が違った。そんな小さなナポレオンがやってきて、次から次へと戦争に勝ち、支配していく。その気持ちよさというものも、あったと思いますね。
矢野
戦後の力道山が、シャープ兄弟をやっつける、というようなものですね(笑)。
佐藤
彼が勝てるんだ、じゃあ自分たちもできる。そう強く思ったんでしょう。
江口
そうした共感を、人々が今も、どことなく覚えているのかもしれませんね。
矢野
ナポレオンが好きということでいうと、僕は最後、セント・ヘレナ島に流された後のナポレオンが好きなんですよ。厳しい環境ではあるのだけれど、この対談の冒頭で触れたような終わりなき追求から、一気に切り離されるわけです。島でナポレオンにつき従ってくれる秘書のラス・カーズがそばにいて、すごく小さな世界のなかで生きている。あのパートもまた、すごく好きなんです。
佐藤
わかります。それこそ秀吉だったら、最後まで心が落ち着くことはなかったわけですよね。死ぬ間際になるまで、ここからどうしたらいいんだろう、と考えちゃう。
矢野
そうなんです、秀吉は特に、ですね。
プロフィール

佐藤賢一(さとう・けんいち) 1968年山形県生まれ。93年『ジャガーになった男』で第6回「小説すばる」新人賞を受賞し、デビュー。99年『王妃の離婚』で第121回直木賞、2014年『小説フランス革命』で第68回毎日出版文化賞特別賞、20年『ナポレオン』で第24回司馬遼太郎賞を受賞。

矢野隆(やの・たかし) 1976年福岡県生まれ。2008年「蛇衆綺談」で第21回「小説すばる」新人賞を受賞し、デビュー。09年、同作を『蛇衆』と改題して刊行。21年『戦百景 長篠の戦い』で第4回細谷正充賞を受賞。時代・歴史小説を中心に執筆し、人気ゲームやマンガのノベライズも手がける。

江口洋(えぐち・ひろし) 集英社文庫編集部・部次長