よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

3.集団就職とがじゅまるの会

澤宮 優Yu Sawamiya

ある集団就職者の放火事件
 集団就職に限らず、沖縄から来た人の多くは関西に住んだ。その中でも、大正時代から沖縄の人が多く住んでいる地域がある。今も「リトルオキナワ」と呼ばれる大阪市大正区である。生活に苦しかった沖縄の人たちが出稼ぎで移り住んで以来、沖縄から縁故を頼って出てくるので、この地に多くが住むようになったのである。
 大正区の近くには紡績工場が多く、働き場所にも恵まれていた。今の大正区の人口は約6万2千人だが、その2割が、沖縄出身者かその子供や孫などである。路上には沖縄の魔除けの石碑「石敢當(いしがんとう)」も散見される。
 大正区を歩くことで、沖縄出身者、とりわけ集団就職者の本土での足跡を追うことができる。本土に暮らす沖縄の人たちの苦闘を、今回は集団就職者を通して見ていきたい。
 集団就職者をはじめとして、沖縄から来た若い人たちを支援する会が、昭和50年1月26日に作られた「関西沖縄青少年のつどい がじゅまるの会」(以後は単に『がじゅまるの会』と表記)である。初代会長の玉城利則は語る。
「がじゅまるはしぶとくて、幹も太く葉っぱも茂っている。防風林として家を守ることから、屋敷の守り神とも言われるので、この名にしたんですよ」
 がじゅまるは沖縄では民家の庭や、道路などに頻繁に見られる。キジムナーという精霊が住むとも言われている。「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦の米軍の砲弾の中で沖縄県民とともに生き抜いた逞(たくま)しい木だ。
 会のスローガンは、「沖縄の青年は団結しよう」「集団就職者、単身就職者の生活と権利を守ろう」「沖縄の自然を守り、文化を発展させよう」で、多いときは300人ほど会員がいて、支部が大阪には4つあり、さらに京都、奈良、兵庫にも支部があった。
 この会が作られるきっかけとなったのは、沖縄出身のある集団就職者が起こした放火事件である。
 玉城は昭和22年に沖縄の浜比嘉島(はまひがしま・現うるま市勝連)に生まれ、高校卒業後は地元で働いていた。やがて教師を志して関西の大学への進学を決め、昭和49年、27歳のときに本土にやってきた。
 事件自体は、玉城が関西に来る2年前に起こっている。それは宮古島(みやこじま)出身の青年Y君(当時25歳)が起こした放火殺人事件である。
 Y君は昭和43年に集団就職で大阪の食品会社に就職する。この会社は人手不足のため多くの沖縄出身者を採用していたが、給料はかなり安く、3人分の仕事を1人でやらせるなど、労働環境は劣悪で退職者も多かった。しかも社長は平気で社員に罵声を浴びせる。内気な性格で口数も少ないY君は、最初は本土の人が話す言葉の意味があまりわからず、業務上の指示もよく聞き取れなかった。そのため社長の逆鱗(げきりん)に触れることも多かった。
「あんた使ったら金にならん、ドブに落ちて死ね」「廃人同様だ」「精神的欠陥」「ひどく鼻が悪くて、常識が無く、低能であるが精神はふつう」。そんな罵声を次々と浴びせられた。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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