よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

3.集団就職とがじゅまるの会

澤宮 優Yu Sawamiya

 寄せられた回答から、多くの会社で彼らは安い賃金しかもらえず、過酷な環境で奴隷のように働かされていることが浮き彫りになった。
 そのような現実の中で集団就職者を支えるのは、同郷の仲間が集まり、沖縄の言葉で悩みや思いのたけを語り合うことではないか、と玉城は考えた。
 まずは皆で集まろうと、ハイキングを企画する。昭和48年10月の日曜日、集合場所は京橋駅前の公園である。彼らの殆(ほとん)どは、寮と職場を徒歩で往復するだけで電車やバスの切符の買い方も知らなかったが、人に聞きながら自分の力でやって来た。集合場所がわかりやすいように、玉城たちは10人ほどで早めに公園に行って、カセットレコーダーを置き、沖縄民謡を流した。当日は140人もの沖縄出身の若者が集まり、大阪郊外のハイキングコースを歩いた。
 夕方、京橋駅に戻って解散する予定だったが、誰も帰ろうとしない。駅の近くの喫茶店に分散して入ってまた語り合うなどする様子を目の当たりにし、玉城は皆が同胞の仲間を心底から必要としていることを感じた。
 このとき集まった皆から、「交流の広場」を作ろうという提案があり、定期的に沖縄出身者が集まることになる。そこから「がじゅまるの会」が作られてゆく。
 玉城は「がじゅまるの会」の展望を沖縄の郷土月刊誌「青い海」に語っている。
〈大げさにいえば、自分たちは、沖縄を背負って、本土の最先端で働いている。それぞれが、自分の持ち場でがんばっていきたい。それが若者の生き方の問題として、大きな影響力を持っていくようになると思う〉

非難されたエイサー祭り
 昭和50年9月、毎日新聞(大阪版)の「おおさか広場」という告知コーナーに「がじゅまるの会」による以下の案内が掲載された。
〈第1回沖縄青年の祭り 14日(日)13時、大阪市立千島グラウンド(国鉄環状線大正駅下車)バスで大正区役所前まで〉
 千島グラウンドは、現在の大正区千島グラウンド(大阪市大正区千島)である。宮古島や八重山(やえやま)などの民俗芸能をそこで披露し、集まった皆でエイサーを踊るというのが祭りの内容だった。中でも会がとくに力を入れていたのが、エイサーである。
 沖縄の伝統芸能であるエイサーは江戸時代初期に、首里(しゅり)で浄土宗の僧侶が念仏歌を歌って布教したのが始まりで、旧盆の夜に祖先の霊をあの世に送る、本土の盆踊りにあたるものである。三線(さんしん)を弾き、直径20センチほどのパーランクー(手持ちの太鼓)という太鼓を力強く叩く。前述のY君事件をきっかけに、沖縄の象徴であるエイサーを皆で踊ることで、沖縄出身者のアイデンティティを確かにしたいという目的があった。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

Back number