よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

3.集団就職とがじゅまるの会

澤宮 優Yu Sawamiya

第二の犠牲者を出すな
 昭和49年5月24日の朝、Y君は拘置所で首を吊(つ)って自殺した。拘置所内の彼の房内から「自分は人殺しなどしていない。生きる意欲がわいてこない」とボールペンでチリ紙に書かれた遺書が見つかった。残された8枚のチリ紙には、事件の詳細について書かれてあった。
 Y君の自殺を知った、大阪の沖縄出身の青年たちは強く決意する。
「第二、第三のY君を出してはならない」
 玉城の友人で、沖縄から出てきて大阪に就職した一人である上原良三の証言を例に挙げる。彼はY君と同じ昭和44年、大阪の冷凍空調加工機会社に就職した。
「沖縄人はうるさいから飲み屋に来るなと言われた、という話を先輩から聞きました。東北も九州も方言使うでしょ。それと沖縄はなにが違うの? と思うんです。なぜ沖縄だけが差別されるのか。私にも『沖縄は英語を使うのか』と聞く人がいるけど、鼻で笑って無視します。差別するのは沖縄を知らない人です」
 ちょうどこの時期に本土に来て教職を目指していた玉城は、Y君事件の詳細を知ったことで自らの進路を変更し、働きながら沖縄出身者の問題にかかわっていくことになる。
「沖縄からの集団就職者への不当な差別を見て、これは捨ててはおけない、もう首を突っ込むしかないな、と思ったんです」
 沖縄出身者が差別されている例は他にもあるのではないかと、友人たちと一緒に、集団就職者の職場状況の調査を行うことにした。
 まず彼らがどこで働いているのかを知るために、沖縄県の大阪事務所に行って何度も頭を下げて、勤務先の名簿を見せてもらった。事務所から資料を借りた玉城は、休みの日に集団就職者の名前、連絡先を紙に書き写した。彼らにあてた手紙には、〈約束通り労働条件を守っているか〉〈きちんと休日をもらえているか〉など細部にわたる質問を並べた。
 手紙は全部で1200通出したが、送付した7割が宛先不明で戻って来るという状況だった。集団就職者の大半が半年以内で辞め、会社側も居所は知らないというのだ。会社側が職場の現状を隠すために、在職していても本人に手紙を渡さないこともあったようだ。
「宛先不明で返送された手紙を見るとさすがに疲れを感じました」
 玉城はそう語る。そして本人から回答が戻ってきた手紙を見ると、そこに書かれている労働条件は酷(ひど)いものだった。
 日曜に出勤させる会社もある。精肉店で働く青年は、倉庫を改造した部屋で寝起きさせられていた。しかも夜逃げさせないように倉庫の周りには有刺鉄線が張られ、シェパードを放し飼いにして拘束していた例もあった。
 ある半導体の会社は、守衛室の前に公衆電話を一台置き、守衛に話す内容を会社に報告させていた。電話で日々の辛(つら)さを愚痴ることが多いので、職場の悪い情報を外に洩(も)らされないためである。昭和47年の祖国復帰以前は集団就職者のパスポートを経営者が取り上げて、逃げられないようにする会社もあった。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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