よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

3.集団就職とがじゅまるの会

澤宮 優Yu Sawamiya

 あるおばあちゃんは、朝からやって来て木陰の下に座って皆が準備している様子を眺めていた。エイサーの踊り手は100人ほど、観客も同じ100人ほどであった。
 若者たちは、おじいさんやおばあさんたちがエイサーに反対していたのは、踊りたくても踊れなかったことによる屈折した思いからであり、最終的には彼らがエイサーを一番喜んでくれたことを理解した。
 ある年の祭りで、金網ごしに見ていた80代の男性が涙を流し、踊る若者に話しかけた。
「自分たちも若いときに、こうして沖縄のことをやっていればよかった。そうしたら今の若い人たちが苦労をせずに済んだのに。わしら自身がよくなかったのかもしれない」
 この男性が若い頃は、今よりもっと沖縄への差別が酷くて苦しかった時代である。彼の言葉に若者たちは涙を流した。

終わらない沖縄への差別
 その後も集団就職者への差別はやむことはなく、昭和52年10月にまた事件が起こる。
 沖縄出身の看護師見習の女性に対する不当解雇問題である。大正区のK外科病院に勤務しはじめた彼女は、わずか1か月余りで解雇通知を出されてしまう。
 病院側の解雇理由は、「言葉がはっきりしない」「ああいう人はものを言わない仕事につけばいい」というものだった。彼女は職員組合に相談するが、当初は不当解雇として闘う姿勢を見せてくれた組合も、やがて病院側に寝返ってしまう。
 結局組合は、彼女が雑用を行う係に配置転換されることで妥協する。看護師を志す彼女には不本意な決着である。しかも病院側の対応は卑劣を極めた。自宅待機中の彼女が給料をもらいに病院に行くと、待ち伏せしていたやくざ風の男たちがいて彼女に罵声を浴びせてくるのだ。
 以前から彼女に相談を受けていた「がじゅまるの会」の玉城たちは、事態が深刻なことを知っていた。組合も助けてくれず、病院も脅しの手段を使うので、絶対に彼女を見捨てることがあってはならないと考えた。それには同胞の自分たちが動くしかない。
 玉城ら「がじゅまるの会」の仲間は、院長に会いに行ったが、診察中だという理由で面会を拒否される。その後再び病院に行くと、何十人もの機動隊を呼んで「がじゅまるの会」が中に入ろうとするのを阻止してきた。玉城たちも負けてはいない。
「あんたがたが院長に加勢するなら、僕らも毎日ここに来て抗議する。『病院の組合が全然協力的でなくて、仲間が酷い状況にさらされている』と大きな声で言うからな。バスの乗客も聞いているし、タクシーの運転手も聞いているぞ」
 しかし院長は一度も現れることはなかった。沖縄の郷土月刊誌「青い海」に、この女性のコメントが載せられている。
〈もし「がじゅまる」がなかったら、一人で悩んで、黙ってやめていたと思う。会のみんなと話し合って、これは自分だけの問題ではないな、黙ってやめてしまったらすむ、という問題ではないなということに、はじめて気がついたんです〉

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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