よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

3.集団就職とがじゅまるの会

澤宮 優Yu Sawamiya

 祭りに備えて、大阪城公園の入り口あたりで若者たちが集まり練習を始めたが、意外なことに沖縄出身の年長者から猛反対をされた。彼らはこう非難する。
「三線を弾いたら俺たちがウチナンチュとわかってしまう。恥になるからやめろ」
 年配の沖縄出身者たちは出身地を隠すため、三線を押し入れで隠れて弾いていたのである。沖縄人であることを隠したい。それが彼らの本音である。抗議、脅迫、怒り、嫌悪感まるだしのメッセージが、電話や文書で「がじゅまるの会」に届いた。
 だがエイサーを踊ることが沖縄出身者の生きる力になると信じた玉城は、屈することはなかった。前出の上原良三はこう言う。
「沖縄の伝統のどこが恥なのですか。商店街にだって民謡は流れてるじゃないですか。沖縄にも民謡があるし、沖縄料理店もある。それのどこが恥ずかしいことなのですか」
 会のメンバーのもう一人、宜野湾(ぎのわん)市から昭和45年に兵庫県尼崎市に来て溶接の工事に携わっている米須弘も語る。
「年配の人は肩身が狭くなるからやるなと反対する。だけど僕らがエイサーをしなければ、今後も沖縄の人たちは出身地を隠して生きることになる。それを突破したかったんです」
 若者たちは大阪城公園でエイサーの練習を続けた。彼らは学校を卒業してすぐ本土に出てきているから、エイサーをきちんと習った体験が少ない者が多かった。また同じ沖縄でもエイサーは地域ごとに踊りもリズムも違う。皆は、玉城の出身地、浜比嘉のエイサーを習った。浜比嘉のエイサーはスローテンポな動きに特徴がある。毎週四日、練習を続けることで、徐々に様になっていった。
 彼らのエイサーに理解を示すウチナンチュの年配女性がいた。踊っていると、沖縄そばなどを差し入れて励ましてくれる。若者から「ナミおばあ」と慕われた安里ナミである。当時は60歳前後ではなかったかと、皆は語っている。

ナミおばあの潔さ
 ナミおばあは当時、大正区北恩加島(きたおかじま)のクブングァーと呼ばれる集落に住み、野菜や沖縄そば、揚げ物などをリヤカーに積んで行商をしていた。クブングァーは湿地帯の窪地で、沖縄出身者や在日の人たち400世帯の小屋が迷路のように立ち並んでいた。
 彼女も厳しい現実と闘う人である。この頃、大阪市は土地整備計画を進め、クブングァーを壊そうとしていた。彼女たちが慣れ親しんだ住まいを、汚いという理由で行政は追い出しにかかる。初めは紳士的に交渉してくるが、拒否すると、同じ沖縄出身のやくざ風の男を使い、脅迫めいた行為をしてきた。多くの人々は脅しに屈して転居したが、ナミおばあは啖呵(たんか)を切って拒否する。
「沖縄人をクブングァーから追い出す前に、米軍用道路に奪われた我んがぁ土地を返せ。ここ以外に行くところもねえ。どうせ人間は死ぬから、ブルドーザーで連れてどこぞへ放れ」
 そこまで居直られると行政も手出しができないのである。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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