よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

3.集団就職とがじゅまるの会

澤宮 優Yu Sawamiya

 同僚の女性社員も彼の体の特徴を聞くにたえない差別発言で侮蔑した。Y君は自分が差別された体の特徴に深く悩み、そんな日々の中で次第に正常な精神を保てなくなり、結局入社して1年半後に退職する。
 彼はその後、各地の工場を転々としたが、言葉の壁が立ちはだかり、どこも長続きしなかった。沖縄出身者も多いので、もう一度頑張ってみようと、最初に勤めた食品会社にまた戻りたいと考えた彼は、社長に頼みに訪れた。しかし社長は彼の相談を拒絶し、再び罵声を浴びせて追い返してしまう。
 このときY君の堪忍袋の緒が切れてしまった。
 昭和47年3月16日深夜、Y君は社長宅に窓ガラスを割って侵入し、家族3人に持って行ったガソリンをかけ、マッチに火をつけて逃げた。社長夫人が焼死し、長男もやけどを負った。ただ、供述によると、彼は火をつけて困らそうと思ったが、殺意はなかったという。社長夫人が現れたことに動揺し、慌てて巻き込んでしまったのだ。
 裁判が進むにつれて、Y君事件の背景には沖縄青年に対する差別と侮辱があり、沖縄出身者に共通する深刻な問題を含んでいることが明らかになってきた。雇用条件を守らない会社の契約に対する裏切り、過酷な労働環境、慣れない食事や習慣の違い、周囲からの偏見や言葉の壁によってY君は追い詰められていた事実がわかったのである。
 沖縄の人たちは有志を募って「Y君を支援する沖縄人の会」を作り裁判を支援する。同48年の初公判には、約40人の沖縄出身の青年たちが傍聴に駆けつけた。会ではY君事件を単なる放火殺人事件として扱うことに断固反対する、という主張をする。
 Y君は裁判でこう語っている。それは慟哭(どうこく)とも呼べるものである。
「殺意はなかった。沖縄の若者が安上がりの労働力として本土に送り込まれ、ボロ切れのように使い捨てにされる現状を見てほしい」
 しかし判決は懲役10年で、裁判では職場でY君が受けた沖縄出身者の多くが味わう差別や絶望について、審議において加味されることはなかった。このとき傍聴していた沖縄出身者2名が、「沖縄の歴史や沖縄の若者の状況、事件の背景に触れずに裁くのは許されることではない」と抗議したが、退廷させられてしまった。
 罪は「殺人、現住建造物放火罪」であり、単なるY君の私怨による殺人事件としてしか扱われなかったのである。
 沖縄への差別という背景はかえりみられず、事件の本質がくみ取られなかったことに、Y君や支援する沖縄の人々は絶望した。
 裁判を通じて、社会の沖縄出身者の苦悩への思いやりは一片もなかった。それは悲劇であった。
 弁護側は控訴したが、Y君はその後精神的に不安定になり、家族や弁護士、支援の人たちとの接見も断るようになってしまう。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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