4.演劇「人類館事件」が訴えるもの
澤宮 優Yu Sawamiya
しかしクラスの討論会では42人のうち祖国復帰を希望する者は28人で、後の14人は復帰には懐疑的であった。賛否が分かれたのである。
懐疑派は、「復帰して米軍基地が無くなれば、沖縄の経済の安定が崩れてしまう。その結果、本土に出稼ぎに行っても差別されるだけだ」という意見である。その根には昭和26年のサンフランシスコ講和条約が、沖縄を日本から切り離した状態で締結されたという経緯があった。本土は沖縄を見捨てたという思いが残っている。
結局参加することになったのはクラスの半分にも満たない20人だったが、彼らはある目的を秘めていた。
当日、摩文仁の丘で行われる戦没者追悼式典には衆議院議長が来訪する。内間は自分たちの思いを綴った手紙を衆議院議長に渡し、祖国復帰への願いを読んでもらおうと考えたのである。
高校生が国家の要人に直訴するのは、当時としてはかなり無謀な行為である。警察に阻止されるかもしれないと不安も頭をもたげた。しかし内間は言う。
「衆議院議長が沖縄に来ると知って身震いしました。でもこのときが僕らの思いをじかに伝えるチャンスだと思ったんです。議長に渡す文章は、封筒に入れて、名前を表に書きました。全員で行けば、護衛の警察官に突っぱねられるかもしれないから、3人で渡しに行きました」
内間は一方でこうも考えた。メッセージを受け取れないと議長に拒否されたら、なぜ衆議院議長は高校生の純粋な願いを拒否したのかとドラマティックな話題になってニュースになるだろう。そこから祖国復帰運動に新たな弾みがつくかもしれない。
「渡そうとすれば僕は警察にパクられるかもしれないから、そのときは君たちが手紙を守ってくれよ」
内間は級友2人に言い含めたが、それだけの覚悟があったのである。
生徒たちが行進を終えて摩文仁の慰霊の式典会場に行くと、来賓として挨拶を済ませた衆議院議長が車に乗り込もうと歩きだしているところだった。この瞬間、内間は級友2人と衆議院議長の許(もと)に走り寄った。内間が先頭に立ち、緊張しながらも議長の目を見据えてはっきりと伝える。
「これが僕たちの考えです。読んでみてください」
内間は封筒を議長の目の前に突き出した。議長は表情を変えることもなく、無言で受け取ると車に乗り込み摩文仁の丘を去った。
拍子抜けした、というのが内間の率直な思いだった。衆議院議長に受け取りを拒否するぐらいの強い意思があったら、むしろ感情の交流もできたかもしれない。このとき国家の要人は事なかれ主義を貫いたに過ぎなかったのである。今の沖縄が置かれている状況は、このとき既に暗示されていた。すべての問題に本気で向き合おうとしない日本という国の姿は象徴的だった。
- プロフィール
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澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。