2. 本土復帰はしたけれど ──二つの碑文に込められた思い
澤宮 優Yu Sawamiya
復帰前の納得できない扱いに何とも複雑な思いを抱えて小渡は生きてきた。自分たちは日本人なのかそうでないのか。それは奄美群島の人たちにも根底で繋(つな)がる感情で、祖国から切り離されたような思いを持ったことだろう。
小渡は、沖縄本島最北端の辺戸岬に、「祖国復帰闘争碑」が建っている、と教えてくれた。碑には長い文章が刻まれているという。彼は碑文を書き写したプリントを見せてくれた。一読したが、それはあまりに情熱的な文章だった。怒り、心情、願い、哀しみ、すべてが激烈である。
これほどの文章を誰が書いたのだろう。碑もこの目で見てみたいし、なぜ碑が建てられたのか、その経緯も知りたい。そう思った私は辺戸岬へ向かうことにした。
沖縄本島最北端にある辺戸岬から与論島を見ると、透き通るほどの青い海が広がっていた。ここから22キロ先にある与論島がうっすらと見える。小渡が編集者を務めた雑誌名が「青い海」というのも、この青さを見れば納得できる。これが沖縄の海なのだ。
「祖国復帰闘争碑」は大きな石を台座にして建てられ、高さは5メートルほどになる。台座の正面の石に達筆な字で碑の由来が縦書きで書かれている。
〈全国のそして全世界の友人へ贈る
吹き渡る風の音に 耳を傾けよ 権力に抗し 復帰をなし遂げた大衆の 乾杯の声だ
打ち寄せる 波濤の響きを聞け 戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ
鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は 米軍占領に引き続き 一九五二年四月二八日 サンフランシスコ「平和」条約第三条により 屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた 米国の支配は傲慢で 県民の自由と人権を蹂躙した 祖国日本は海の彼方に遠く 沖縄県民の声は空しく消えた われわれの闘いは 蟷螂の斧に擬せられた
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ 国民に呼びかけ 全世界の人々に訴えた ……中略…… 一九七二年五月一五日 沖縄の祖国復帰は実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず 日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された
しかるが故に この碑は 喜びを表明するためにあるのでもなく ましてや勝利を記念するためにあるのでもない
闘いをふり返り 大衆が信じ合い 自らの力を確め合い決意を新たにし合うためにこそあり 人類が永遠に生存し 生きとし生けるものが 自然の摂理の下に 生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある〉
- プロフィール
-
澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。