よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

2. 本土復帰はしたけれど ──二つの碑文に込められた思い

澤宮 優Yu Sawamiya

 東は言う。
「僕の世代は日本復帰の5月15日よりも、沖縄が日本から分離された4月28日が印象深いです。復帰当時の総理大臣が“核抜き、本土並み返還”と約束しましたが、現実は米軍基地強化、核つきでしたから、日本復帰は素直に喜べないんです」
 日本復帰が決まった日、政府の式典で佐藤首相は「天皇陛下万歳」を三唱する。しかし沖縄の那覇市民会館では当時の屋良朝苗(ちょうびょう)琉球政府行政主席は語った。
「復帰の内容を見ると、必ずしも私どもの切なる願望が入れられたとは言えない。私どもにとって、これからもなお厳しさが続き、新しい困難に直面するかもしれません」
 那覇市の与儀(よぎ)公園では「沖縄処分抗議、佐藤内閣打倒、五・一五県民総決起大会」が開かれる。その日は土砂降りの大雨で、沖縄県民の激しい悔し涙を表しているとも言われた。
 東もずぶ濡れになりながら、総決起集会に参加しデモ行進をしたが、このときの光景は東の脳裏に鮮明に残っている。
 屋良主席の「なお厳しさが続き」という言葉を具現化するように、平成7年9月4日にはアメリカ海兵隊員、海軍軍人の3名が、12歳の女子小学生を車で拉致し、海岸で集団強姦した。しかし日米安保条約に基づく日米地位協定のため、米軍兵を日本で拘束して取り調べすることができなかった。
 平成16年8月13日には、宜野湾市にある沖縄国際大学の本館ビルに米海兵隊のヘリコプターが墜落した。一般の敷地に米軍のヘリコプターが墜落したことはあらためて県民に大きな不安を与えたが、事故現場には日本の関係者は立ち入ることができなかった。そのため今も不明の部分が多い。沖縄はいつ米軍の不安から解放されるのだろうか。
 東は碑文を若い頃に暗唱できるほど読み込んだ。
「“戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ”という箇所は当時若かったから血が騒ぎましたね。それに今でも結びの部分には感動しますね」
 彼が指摘した〈……大衆が信じ合い 自らの力を確め合い決意を新たにし合うためにこそあり 人類が永遠に生存し 生きとし生けるものが 自然の摂理の下に 生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある〉という結びの一文に今の私たちは何と答えるべきであろうか。
 今、辺戸岬を訪れる人もピーク時の半分ほどに減ったという。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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