6.普天間飛行場は戻ってくるのだろうか?
澤宮 優Yu Sawamiya
米軍兵と聞いて、学生時代に知り合った気さくな若者を思い出す。学園祭で私の所属するクラブが出店するときに、女子部員のボーイフレンドが手伝いに来てくれた。彼が沖縄で知り合ったという米軍兵だった。私より背は高かったが、細身で威圧感もなくフレンドリーに会話すると、彼は寺社仏閣や旧跡など古い日本文化に興味があることがわかった。歴史好きな私とたちまち意気投合し、話は弾んだ。しかし何日も一緒にいれば雑談ばかりでなく、政治の話もする。そのとき彼が真剣な目で日米の防衛の話をしたときがあった。そのとき何かの拍子に「自分たちは人を殺すために訓練をやっている」と語った。私の驚いた表情に気づいたのか、彼は急いで「今のは大げさだけどね」と打ち消した。
そのとき今まで彼が見せなかった眼光の鋭さに、私は軍人の本質を見た思いがした。しかしその後も学園祭の打ち上げでは一緒に酒を飲み、酔っぱらって並んで小便をしたことがある。彼と下ネタを連発して互いに笑ったことがいい思い出だ。
私はあのときの言葉に驚いたが、米軍兵にそれほど悪感情を持ったことはない。
基地内にかつて村があった
嘉手納(かでな)町の生まれで、現在大阪市に住んでいる宮里正之は生年月日が昭和47年5月15日で、ちょうど沖縄が日本に復帰した日である。そのため復帰の日になると、よく取材されるが、その日に特別な思い入れはない。しかし米軍基地について見解を聞くと、彼は言った。
「僕の実家は嘉手納飛行場の滑走路の傍(そば)で一番うるさいところなんですよ。基地問題がどうこう言われますが、基地は絶対になくならないと思います」
前回述べた嘉手納飛行場と並んで、双璧をなすのが普天間(ふてんま)飛行場(正式名は普天間航空基地)である。2.7キロの滑走路を持つ、米軍の軍事拠点である。話題は嘉手納飛行場から、4年前行われた「辺野古(へのこ)米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票」(平成31年2月24日実施)に及び、普天間基地が今後日本に返還されるのかということに移った。
平成8年に普天間飛行場の日本への全面返還合意がなされたが、現在は移転先である名護(なご)市辺野古沖に海上基地の工事が進められている。辺野古沖はアオサンゴや、日本では絶滅のおそれが最も高い哺乳類ジュゴンが生息する。基地ができれば当然これらは消滅する。
- プロフィール
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澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。