よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

6.普天間飛行場は戻ってくるのだろうか?

澤宮 優Yu Sawamiya

 農業ができない者は、米軍に雇用されて、メイドやコック、あるいはクリーニングやハウスボーイという庭の手入れなどをして糊口(ここう)を凌(しの)いだ。米軍は早期返還をほのめかしていたから、宜野湾の人たちもいずれは故郷に戻れるものだと信じていた。
 当初は嘉手納飛行場と同じく、基地内の空き地で黙認耕作地が認められていたので、農作業に出入りすることもできた。
 ある日、玉那覇の父親は、基地内にある自分の屋敷跡に連れて行ってくれた。すでに生まれた屋敷は思い出の中にしかない。
「もう境界線もありませんでしたが、ここに自分の屋敷はあったよ、うちの土地はここまであったんだよと教えてくれました。場所の確認もして、基地から返還された後は、この土地が確保できるように言い聞かせてくれました」
 ところが運命が一転したのが、昭和25年6月に始まった朝鮮戦争である。このとき沖縄が戦略上、朝鮮爆撃のための大事な出撃基地となる。基地は拡張され、さらにその後ベトナム戦争も始まると米軍の最大補給基地となったのである。
 昭和38年には基地と集落の間に金網のフェンスが作られた。住民の畑は基地内に残っているので、通行用のパスがあれば基地内に入れたが、昭和45年には完全に閉鎖され、集落の人々は基地内に入れなくなった。
 郷友会会長の松本幸清が高校3年のときである。いつも基地にある畑の草刈りに行っていたが、日本政府がフェンスを張り出して通行を止めた。そこにいた国の役人に「困るじゃないか」と文句を言うと、役人は答えた。
「米軍の兵隊が皆さんに悪さをするから、フェンスを作ってやっているんだよ」
 何というブラックジョークかと松本は思った。今まで耕していた畑は飛行場のアスファルトとなって消えた。

伝統行事へのこだわり
 宜野湾郷友会の事務所から遠くない基地の中に、樹木の茂った小さな丘がある。戦前は集落地よりも一段高い高台であった。このあたりがウブガー(産泉)と呼ばれる湧泉だ。ウブガーは村の発祥に関わる水で、人々の命を繋ぐ源と信じられている。
 字宜野湾のウブガーは、石碑の前の大きく窪(くぼ)んだ場所の中にある。窪地は周囲の壁を切り石で積み、床も石敷きになっている。今でも宜野湾郷友会は、毎年旧暦6月25日(現在の8月10日ごろ)には、米軍の許可を得て、会員150人ほどが6月拝みの行事のために基地内に入る。拝所へ豊穣祈願、村の安泰を祈り、ウブガーの清掃もする。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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