6.普天間飛行場は戻ってくるのだろうか?
澤宮 優Yu Sawamiya
宮城は父親が海外の南方にいたときに生まれたので、昭和21年に沖縄に戻った。宜野湾には祖父の代からの土地があるので、自分のルーツはこの地にあると考えている。しかし祖父も父も沖縄戦について生前語ることはなかった。意図的にしなかったのだと宮城は思う。
「沖縄の人は悲しい思い出はしまっておく習慣がありますからね。読谷村のチビリガマの集団自決も人々は秘密にしていて、公になったのは、昭和58年ごろですからね」
泉川は父親が戦死したので、母親から沖縄戦の話を聞いた。
「故郷の記憶はないですね。うちもガマにいましたが、そこである母親の赤ちゃんが泣いたので、ここにいることが米軍にわかるので、彼女は傍にいた日本兵にこの子を殺してください≠ニ頼んだそうです。そんな話は聞かされました」
地図の復元には、当時を知る人たちの聞き取り調査を行った。隣の家は誰かとか、ここにはサトウキビを搾る機械があったとか、ため池はどこにあったとか、役場はどこかとかいう話を聞いた。編集段階では何度も地域の人々に確認して、修正を加えたが、故郷の先輩たちには平和な村を思い出して、元気になってほしいという願いもあった。
その一方で、作家の百田尚樹が平成27年6月の自民党若手議員の学習会で発言した内容が宮城の脳裏から離れなかった。百田は席上「(普天間基地は)もともと田んぼの中にあり、周りには何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」と語ったのだ。宮城は自分たちが作ったムービーで、百田の発言は事実と違うことを訴え、故郷は間違いなく存在していたと証明しなければならないと強く思っていた。
当初はジオラマを作製する予定だったが、場所の確保が難しいことがわかった。それならば映像として集落を再現し、DVDにして、皆に配布すれば、家族みんなでありし日の故郷を見て楽しみ、子供から孫まで、広い世代が歴史に関心を持ってくれるだろうと宮城は考えた。
平成28年4月に地図は2枚組のDVD「戦前集落イメージムービー」として完成された。コンピューターグラフィックスで、およそ300軒の家や街道が再現されている。4年を費やしたが、宜野湾区公民館で披露するとき、80代以上の人たちは、目を大きく開き、熱心に見入っていた。滑走路になった故郷は、DVDの中で今も存在している。
この地図の完成は、はかりしれない効果を生んだ。平成30年に米海兵隊トップの司令官が記者会見で「普天間飛行場の建設時の写真を見ると、数キロ内に人は住んでいなかった」と発言したが、それが間違いであることは再現地図が証明している。
- プロフィール
-
澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。