よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

6.普天間飛行場は戻ってくるのだろうか?

澤宮 優Yu Sawamiya

 宜野湾村は昭和37年に市に昇格する。市の北部には普天間宮と呼ばれる琉球を代表する神社があり、琉球王の王族や士族も参拝した。首里から神社に通じる大きな道「普天間街道」があり、宜野湾間切内ではとくに「宜野湾街道」と別の名で呼んだ。道幅は4.5メートルもある大きな道だったという。
 琉球王の尚純(しょうじゅん/1660―1706)が、街道の両脇に3千本の琉球松を植えさせたが、これで観光名所としての価値が高まり、昭和7年に松は国の天然記念物に指定される。
 普天間から宜野湾までの松はとくに美しく、人力車が走る光景も見られた。そんな宜野湾村は、米軍に占領される前の昭和19年10月の人口は、13,636人で、その中に300世帯の字宜野湾があった。
 今は米軍基地内のここが故郷の「宜野湾郷友会」(昭和53年設立)がある。会長を務める松本幸清は、昭和23年生まれ、普天間飛行場の中にある字宜野湾の心を守り続けている。
 松本は今自分たちが住む場所を「仮住まい」と呼ぶ。本来の土地は普天間飛行場にあり、いつか土地が返還されるまで、仮に住んでいる場所だと考えているからだ。
「基地のため土地を離れざるを得なくなってもう仮住まいが50年になりました」
 と松本は苦笑した。彼が言うには、戦争が終わるといつしか自分たちの土地に普天間飛行場ができていたと言う。「いつしか」という表現に郷里が魔法のように消え、その現実が信じられないという思いが伝わってくる。どこか米軍に詐欺のように騙(だま)されて土地をとられてしまったという怒りとも悔いとも言いかねる複雑な心境が垣間見える。
 実際米軍は、正当な手続きを踏んで宜野湾の人々の土地に飛行場を作ったとは言い難いからである。
「ハーグ陸戦条約」という戦時国際法がある。戦争の義務と権利(宣戦布告、休戦、降伏、戦闘員の定義、捕虜、傷病者の扱いなど)について定められているが、第三款に私有財産を没収できない、略奪を厳禁とする条項がある。普天間飛行場の土地は民間人の土地なので、「ハーグ陸戦条約」にも米軍は明らかに違反しているのだ。
 宜野湾で生まれ育った玉那覇昇(たまなはのぼる)は、昭和11年5月生まれである。取材を行った宜野湾郷友会の事務所の壁一面に基地になる前の字宜野湾の地図が描かれている。農耕地は緑色。家の一軒一軒に姓名も記入してある。
 宜野湾郷友会が結成以来力を注いだのが、字宜野湾の復元図作製である。それも一軒ごとに民家も記すほどの住宅地図を思わす精巧なものである。それもすべて色分けをしたものだ。上空から写したカラー写真に似ている。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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