よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

6.普天間飛行場は戻ってくるのだろうか?

澤宮 優Yu Sawamiya

 このときの県民投票では、県民の7割以上が辺野古の埋め立てに反対という結果が出たが、日本の政権は民意を無視して、辺野古の海を埋め立てている。宮里は言う。
「あの県民投票で国にも動きがあるかなと思ったんですが、結局、県民投票やっても国に対して何の効力もない。署名運動で何万人集めてもやはり国に無視されます。だから沖縄から米軍基地はなくならないんです」
 これらの現実の積み重ねが、「沖縄から基地はなくならない」という結論に行かざるを得ないのだろう。その一方で、幼少の頃から米兵の子供たちと遊んだ思い出もあるという。
 彼は米軍兵に対する恐怖感はなく、幼少からハーフの子供たちと遊ぶために、顔パスで米軍基地に入っていた。中学生になると米軍兵の子供たちと嘉手納飛行場で、自転車に乗って遊んだこともある。滑走路を一周すれば20キロになり、そこを猛スピードで漕いで、米軍兵の子供たちとレースをするのは爽快だった。基地内を見渡すと、アメリカ映画で見るような雄大な大地の光景が広がって惹きつけられた。
 米軍兵の友人の中には沖縄の方言をしゃべる者もいて、そんな面白い子供もいたのである。基地問題を一概に悪いことと決めつけられないことがあるのも確かだ。
 米軍基地で警備員をしているウチナンチュの中年男性が困った顔で呟(つぶや)いた。
「米軍基地はないほうがいいに決まっているけど、俺は仕事がなくなってしまうから、基地がなくなったら本当に困るんだよ」
 沖縄における米軍基地問題は雇用という現実と基地のない沖縄という理想のはざまで揺れ動いている。今回はもうひとつの巨大な基地、普天間飛行場について論じたい。

 宜野湾(ぎのわん)市(旧宜野湾村)は、嘉手納飛行場と浦添(うらぞえ)市に挟まれた沖縄本島南部にある。西側は海に面している。この宜野湾市の構造がじつに歪(いびつ)なのである。ドーナツのように中央の空間に普天間飛行場が居座り、それを取り囲むように町が形成されている。飛行場の東南に平成16年に米軍ヘリコプターが落ちた沖縄国際大学、北東に宜野湾市役所がある。現在宜野湾市の3分の2以上が普天間飛行場となっている。
 戦前は、この地は丘陵のある農村地帯で、沖縄の北部である国頭(くにがみ)と南部の大都市那覇(なは)や首里(しゅり)を結ぶ交通の要衝でもあった。
 宜野湾村はもともと浦添間切に属していたが、1671年に浦添間切や中城(なかぐすく)間切、北谷間切の村や字と一緒になって「宜野湾間切」を成立させたのが始まりである。
 明治41年に「宜野湾間切」は「宜野湾村」となり、村の中にいくつも字が存在するようになった。字はかつての村レベルの行政単位である。その中で字宜野湾は古くから沖縄の言葉で「じのーん」と呼ばれ、多くの字でも中心の場所になった。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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