5.奪われた故郷──嘉手納飛行場にあった村
澤宮 優Yu Sawamiya
令和2年7月3日から4日にかけて、私の故郷である熊本県南部の球磨川(くまがわ)が大洪水を起こし、近隣も含めて60名以上の死者が出た。
球磨川は日本三大急流に数えられる暴れ川で、これまでも幾度となく水害を繰り返してきた。大洪水からの復旧の最中であった同年11月、熊本県知事の蒲島郁夫は、球磨川上流でかつて建設が着手され、のちに計画が凍結されていた川辺川(かわべがわ)ダムの建設計画の復活を突然に宣言した。
川辺川ダムの予定地は、九州山地の奥地、球磨川最大の支流の川辺川最上流部の熊本県球磨郡相良(さがら)村(水没予定地は五木村)にある。昭和41年から国土交通省の主導によって巨大なコンクリートダムの建設が始まったが、水没予定地の村の人々は猛反対した。
故郷を失うから、という主観的な理由だけではなく、清流が濁り、魚が棲まなくなることで中下流域にも悪影響が出ることや、ダムが最上流部にあっても、豪雨の時には中流から下流にかけての治水効果はないことなどの客観的な理由も挙げられた。議論の末、蒲島が民意を汲(く)んで「ダムによらない治水を行う」と一旦は宣言し、ダム建設はストップされたのだが、驚くばかりの心変わりである。
巨大なダムの建設には政治家と業者の利権が伴う。水没住民や流域の人々の思いはなかなか汲み取ってもらえない。ダムが完成すれば、水没する村の名残は完全に消える。子守女が自らの不幸な境遇や奉公のつらさを嘆いた名曲「五木の子守唄」の故郷は水没し、永遠に子守唄の里を見ることはできなくなってしまうのだ。
故郷を失う人々の気持ちを思いながら、私は沖縄の米軍基地建設で土地を取られた人々のことを連想した。沖縄県は日本の国土全体の0・6パーセントの面積しかないが、そこに日本にある米軍基地(施設も含む)の実に70.3パーセントが集中しており、その比率は尋常ではない。
北谷町(ちゃたんちょう)の商店街「アメリカンビレッジ」に行くと、多くの米軍関係者の姿を見ることができる。近くに嘉手納(かでな)飛行場など米軍施設も多いので、軍関係者の人気スポットなのである。
驚いたのは、彼らとすれ違ったときの威圧感である。見事に鍛え上げられたプロのアスリートを思わせる筋肉質な体で、戦ったら相当強いだろうなと感じたものだ。その一方で小さな子供を連れた家族連れも多い。奥さんと一緒にショッピングを楽しむ人もいる。その彼らの和やかな表情に、自分たちと同じなのだという親近感も持った。
そんな米軍と同居するのが沖縄の人たちである。米軍の普天間(ふてんま)飛行場近くで取材をしたとき、飛び立つジェット機の轟音で耳を塞いだことがある。嘉手納町役場で取材のときは、部屋の窓が二重になって防音されていた。基地のない地域の人間には想像もつかない騒音の下で、彼らは生活している。
- プロフィール
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澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。