よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

5.奪われた故郷──嘉手納飛行場にあった村

澤宮 優Yu Sawamiya

今も生きる千原エイサー
 嘉手納飛行場のために故郷を離れ、分散した人々をしっかりと繋(つな)ぎとめるのがエイサーだが、千原では現在も毎年旧盆に郷友会の人々が集まって盛大に演じられる。
 千原のウガンジュ(拝所)は、嘉手納飛行場内にあるが、幸いなことに今も壊されずに残っている。基地内に入ることは、このときだけは黙認されており、米軍から許可も取らなくて良い。ウガンジュを基地の外に移す字が多い中、千原の拝所は基地内に踏みとどまっているのだ。そこで有志が奉納エイサーを舞い、各家の先祖の位牌(いはい/トートーメー)のある場所25か所を回る。
 拝所を移さず、あえて本来の集落地に拘(こだわ)り、自分たちの祖先の歴史をエイサーに刻みつけていることに千原の人々の自負が伝わる。
 花城康次郎は若いころ、戦争で途絶えた千原エイサーの復活に尽力した。彼は語る。
「千原のエイサーは、空手のエイサーですが、空手は昔から侍がやっていたもの。士族的な集まりが千原の始まりですから、他の地区とはエイサーの内容が違います。千原の歴史、意識、魂を込めてエイサーを踊っています」
 千原のエイサーが消えることは千原の人々の絆が消えることを意味する。だから千原の歴史の継承として、誇りとして、少しも変えることなく本来の姿で将来に引き継ぎたい。
 花城はひとつの言葉を紹介してくれた。
〈んかし うゃふじぬ したでたる エイサー ゆぬ あるかじり わしでなゆみ〉
 琉球音楽の大家が、千原のために残してくれた言葉である。
〈昔、大祖先の作ったエイサーを、世々の続く限り忘れてはいけないよ〉という意味である。
「10年前に、自分の手元にあったこの方の著作の裏に書かれてあったのを見つけたんです。凄い言葉を千原の皆さんに残していただきました。郷友会にもエイサーはイシジー(礎)として残していきたいです」
 そして嘉手納飛行場の今後である。
 近年、沖縄各地の米軍基地は徐々に日本に返還されている。読谷村の読谷補助飛行場は平成18年に返還された。北谷町の米軍基地「キャンプ瑞慶覧(ずけらん)」は、一部日本に返還されたが、嘉手納飛行場には進展は見られない。やはり米軍には不可欠の拠点なのだろう。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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