よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

5.奪われた故郷──嘉手納飛行場にあった村

澤宮 優Yu Sawamiya

 戦後しばらく経(た)ち、花城は経済的に余裕ができたので、家を建てたいと考えた。しかし、自分の土地は眼の前にあるのに、基地の中だ。そこに建てることはできない。やり場のない怒りを抱えて今日まで生きてきた。彼は今後の嘉手納についてこう語る。
「残念ですが嘉手納飛行場は私たちが生きている間には返還されないと思います。米軍基地は早く無くなって欲しいというのが正直な気持ちです。那覇と国頭は、この基地があるために交通、経済とも遮断されている。その現状を本土の人たちも真剣に考え、沖縄のことを自分のことだと思って欲しい。九州にもたくさんの基地を置くスペースがある筈です。私たちの気持ちを汲み、何とかしてもらえる方法を取ってほしいと切に願います」
 私たちは果たしてどこまでこのような沖縄の問題に向き合っているのか。そう自問せずにはいられなかった。

 嘉手納飛行場、普天間飛行場に限らず、沖縄のあちこちで米軍基地の問題は住民の頭を悩ませている。解決策は見えない。取材を終えて、私はもう一度嘉手納飛行場を見たくなった。自分なりの米軍基地に対する答えを探すためだった。
 故郷を奪われる、という共通の切なさについて、私はこれまで自分なりにわかったつもりでいた。熊本県小国町(おぐにまち)にある下筌(しもうけ)ダムに行ったとき、湖底の見える丘で、奪われた村の住民の名前を1人ずつ記した碑に出会ったことがある。この人々のすべてに在りし日の村での人生があったのだと想像したとき、胸が詰まった。しかしその当時私は沖縄の人たちの思いについて考えてみようともしなかった。米軍基地問題は無関心ではなかったが、基地に土地を奪われた人々の思いについては対岸の火事として見過ごしていたのである。
 今回取材をして、じかに故郷を奪われた人々の肉声を聞いたことで、その悔しさ、哀しみが私の胸に強く迫った。しかも沖縄では奪われた経緯も理不尽としか言いようがなかったし、土地の規模も桁違いに大きい。
 私は何度も来ている「かでな道の駅」展望台から飛行場を眺めた。無機質なアスファルトの地面がただ広がっている。そのだだっ広い飛行場を前に、取材した方それぞれの、「何で沖縄だけが」という声や言葉が蘇(よみがえ)った。私たちはその問いにどう答えたらよいのだろうか。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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