よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

5.奪われた故郷──嘉手納飛行場にあった村

澤宮 優Yu Sawamiya

士族のエイサーを守り抜く
 字千原(以後千原と表記)の特徴は、「屋取(やどり)」をルーツとしている点である。屋取とは他の地域から移住した人々によって作られた集落を指す言葉で、千原の元となった屋取は、18世紀ごろに首里や那覇で困窮した士族が「北谷間切」の「字野国」に移転してできた。
 当初は農業を営む5、6世帯で村の外れに住み、小作などをして生活していたが、海岸や丘陵地などを開拓して自らの集落を作った。50世帯を超えると、昭和12年に「字」の野国から分離して、「字千原」として独立する。もともと士族だったため、千原の住人たちは誇りが高いと言われている。
 千原は、現在の嘉手納町兼久と北谷町砂辺に挟まれた場所にあった。戦前は東側に野国、野里の字があり、西側一帯には海が広がっていた。北を流れる野国川が兼久との境界線となっていた。東を県営鉄道嘉手納線が走り、千原の東の入り口には守り神が祀(まつ)られ……そんな土地も、今は米陸軍の貯油施設と嘉手納飛行場とに姿を変えている。
 千原の象徴が「千原エイサー」で、屋取ができた当時から400年も形を変えずに演じられている。エイサーは戦前までは専(もっぱ)ら男性だけで行われてきたが、戦後はほとんどの「字」で女性も参加するようになった。しかし千原は今も男性だけでエイサーを踊る。
 千原の人々は士族出身のため、上下関係や礼儀作法に厳しく、そのため頑(かたく)なに自分たちの先祖の作り上げた形を継承した。首里の士族の流れを汲むエイサーなので、空手の形に近く、衣装も空手着によく似ている。中段の構えから、手刀や突き、蹴りを繰り出す凛(りん)とした動きに特色がある。踊りに合わせて歌われる念仏歌の最初に「南無阿弥陀仏」を唱えることからも祖先への思いが伝わってくる。構成する要素の全てが千原独自のもので、伝統文化としての価値が高く、昭和51年には町指定の民俗文化財になった。
 戦争により一時エイサーも途絶えたが、戦後間もなく復活し、今日も子孫代々に受け継がれている。
 昭和31年生まれ、嘉手納町町会議員で千原郷友会の花城勝男はエイサーについてこう語る。
「千原は1825年から、エイサーを始めました。戦争で私たちの集落も散り散りになりましたが、人々の絆を保つためにエイサーの活動を続けたんです。郷友会の柱は何と言ってもエイサーで、これを保存継承しなければなりません」

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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