よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

7.「せいしょこさん」はどこを見ているのか

澤宮 優Yu Sawamiya

入所者の権利を守る
 平成31年3月に「沖縄愛楽園」自治会会長の金城雅春(きんじょうまさはる)から話を聞いた。金城は昭和29年沖縄県生まれ。入所したのは昭和55年である。
「この病は感染してすぐに発症しないんです。潜伏期間があって、体の抵抗力がなくなったときに出てくるんですね。とても弱い菌で抵抗力がつけば自然治癒するんです」
 彼が病だとわかったのは、高校生のときこっそり酒を飲んだときだったと苦笑しながら教えてくれた。飲むと皮膚に湿疹が出る。気になったので、皮膚科に行くと、保健所に行くように指示された。そこでハンセン病とわかったのである。
 医師からは薬を飲めば治ると言われ、DDS(ジアフェニルスルホン薬)を飲み続けたら、数か月で快方に向かう。金城は日常に戻り、大学卒業後、沖縄の建築事務所に就職する。ところが仕事が忙しくなると熱が頻繁に出て、リンパ節や関節も肥大するほど腫れる。熱発のため腎臓も痛め、血尿も出るようになった。このときハンセン病が再び出たことを知る。
「高校生のときの菌が残っていました。DDSは殺菌作用のある薬ではなかったんです。今はこの薬とリファンピシン(結核にも使われる薬)、クロファジミン(色素剤)の3種類を併用し、早期に菌はなくなります。当時は1種類の薬だったから再発者は多かったんです」
 医師は、病状を診(み)て「沖縄愛楽園」に行くことを勧める。期間は3か月もあれば大丈夫だと言われた。このとき金城は20代の半ばで、結婚もしていた。
 ところが愛楽園に入所して金城は衝撃を受ける。同室のおじいさんは、指がなくて団扇を腕に挟んで扇(あお)いでいた。自分もこうなるのかと思ったのである。ショックで1週間は食事が喉を通らなかったという。
 病棟の中を歩くと、戦前から病み、皮膚が酷くただれた患者が多くいる。金城は柘榴(ざくろ)みたいな人と表現する。この姿を見たときは、彼はただ立ち尽くすしかなかった。
 同室のおじいさんは金城にきっぱりと言った。
「私はここに50年以上いるんだよ。君が3か月で帰れる筈(はず)がないじゃないか」
 金城は3か月というのは愛楽園に入れるための方便なのかと医師を疑った。事実園に来て、腎臓が予想以上に悪化していることもわかった。もう園から出ることは叶(かな)わなくなったと悟ったときである。
 自分はもういつここを出ることができるかわからない。このとき金城は妻に自分のためにこれ以上犠牲になってもらうことはできないと考えた。働いて妻を食べさせることもできないのだ、妻の人生を自分のために振り回すわけにはゆかないから、もう離婚するしかない。彼は妻に面会に来てもらって「お前のためだから」と突然に離婚届を出したが、彼女は驚くばかりである。「何故なの」と何度も問いかけられた。金城はそれでも届を押し付けると、妻は黙ってうつむいてしまった。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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