7.「せいしょこさん」はどこを見ているのか
澤宮 優Yu Sawamiya
そのために「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」を行うことになる。国家に誤りを認めさせ、賠償を請求する。患者からすれば当然の要求だが、これがうまくいかなかった。
沖縄愛楽園に長くいる人たちからは、「今まで平穏にここで暮らしてきたのに波風を立てなくてもいいじゃないか」「報道されることで家族、親族に迷惑がかかる」などの反対意見が出る。それでも金城らが裁判に踏み切ったのは、かつて戦前に強制隔離された人々の姿が脳裏にあったからだ。
「戦前や戦中には田んぼで働く患者さんを軍人がサーベルで脅し、療養所に連行しました。戦後生まれは知りませんが、ここだから平穏に生きられたのではなく、ここにいることしか許されなかった。そう生きるしかない世の中がおかしい。人権問題なのです」
だから皆で立ち上がりたい。金城の熱意に多くの患者が賛同に傾いてゆく。
「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」は、熊本の菊池恵楓園、鹿児島の星塚敬愛園(ほしづかけいあいえん)から声が上がった。その理由は「らい予防法」廃止が決まったとき、国から法廃止の遅れについて謝罪はあったが、被害の実態や加害責任を踏まえた謝罪ではなかったからだ。「国の責任を問う」「(加害責任などについて)謝罪してほしい」そういう思いから提訴がなされた。その訴訟は全国の療養所に広がる。「沖縄愛楽園」も当初は10数人だけが原告だったが、やがて6割程度の人が原告になった。第一審は平成13年5月11日に原告側の勝訴となり、国も控訴を断念、小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)首相(当時)は謝罪した。
このとき金城の胸中に何が過(よぎ)ったのか知る由もないが、強制隔離の過去に強い憤りを持っている瞬間を見たことがある。それは日本映画の不朽のヒューマニズム作品と呼ばれる「小島の春」(昭和15年)に触れたときである。この作品は、女医の小川正子(おがわまさこ)が、瀬戸内海に浮かぶ島々にハンセン病患者を訪ね歩き、療養所(岡山県愛生園)に入るのを説得するという日記を映画化したものである。金城は切り裂くように批判した。
「酷い作品ですよ。ストーリー的には美しくしてあるが、強制隔離ですよ。あの時代は、療養所に行きたくない人まで強制的に車の荷台に乗せて連れて行ったんです。有無を言わせませんでしたよ。離島を含め、日本軍にとっては病者は邪魔者だったんです」
そんな歯がゆさが、金城を賠償訴訟へ突き動かす土台になったことは想像にかたくない。
患者、元患者への隔離政策は終わったが、その家族が被った長年の苦しみは解決されていなかった。患者がいれば、その家族も差別され、結婚も就職もできなかった。
令和元年6月28日の家族訴訟の判決が熊本地裁で出され、原告側が勝訴し、国側は控訴を断念した。家族が受けてきた差別偏見について、国もようやく過ちを認めた。
- プロフィール
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澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。