よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

7.「せいしょこさん」はどこを見ているのか

澤宮 優Yu Sawamiya

「自分はずっと園にいなければならない。会うこともできないんだよ」
 金城は妻に判子を押させた。結婚生活は2年の短さだった。さらに親に自分の病を告げると、母親は「なぜあなたが」と絶句して泣いた。高校のときは、親と離れて暮らしていたので、心配させてはいけないと思い、伝えていなかったのだ。
 後日、母から50万円が送られてくる。裕福ではないのに、まとまったお金を用意してくれたのは、去ってゆく妻の今後の生活を心配してのものだった。金城は別れた妻に生活費としてそのお金を渡した。以後、金城は妻と会っていない。

「らい予防法」の矛盾
 金城は園内で入所者を見て、不思議に思うことがあった。戦後病にかかった人は特効薬で、症状も軽く元気である。それなのになぜ園から出ようとしないのだろうか。それが彼を自治会運動に目を向けさせるきっかけとなる。
 金城は資料を調べると、患者がいつまでも園にいるのは、彼らを隔離させる「らい予防法」のためだと知る。彼は言う。
「法律には退所する規定がない。入所すれば治っても退所できません。だから園内に納骨堂があるのだと思いました。死んでも帰れないのです。昔は親とも会えませんでした」
 さらに愛楽園は本土の療養所に比べ、医者や職員の数も少ないことがわかった。これで治療がきちんとなされるのかと疑問に思った。だが個人では意見は言いにくい。患者の権利を主張するには、自治会という組織が必要なのだと知る。以後、金城は自治会活動に取り組むようになる。
 平成2年に金城が自治会会長に就任すると、「らい予防法」廃止の問題が持ち上がった。これまで患者たちで作られる全国ハンセン病患者協議会(全患協)はハンストもするなど激しく廃止を訴えたが、法改正が顧みられることはなかった。
 しかし事態は急変する。厚生省「ハンセン病予防事業対策調査検討委員会」の大谷藤郎(おおたにふじお)が「隔離政策を柱とし、断種手術や堕胎まで許容する『らい予防法』は問題である」と述べたからだ。当時の菅直人(かんなおと)厚生大臣も全患協会長などに謝罪し、平成8年に国会で廃止が決まる。
 ただ金城は全国のすべての患者が、廃止に賛成したわけではないという。2、3か所の自治会支部は「らい予防法」の廃止に反対だった。その根拠は退所後の生活の保障が心配という点だ。
 法律が廃止されれば、患者は外の社会に放り出されて、どうやって生きてゆけばよいのかわからないからだ。それなら園内にいたほうが生活に困らない。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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