よみもの・連載

あなたの隣にある沖縄

7.「せいしょこさん」はどこを見ているのか

澤宮 優Yu Sawamiya

 現在、宮里は再婚して熊本市に住む。ただ沖縄には居所はないという。味方だった母もいないし、親戚との付き合いもない。理由を聞くと「いろいろあってね」と口を濁した。
 これからも至るところで人権啓発の語り部や歌を続けていきたいが、学校などを回るたびに全般的にハンセン病に対する無関心を感じるようになったと語る。以前ほどマスコミでもハンセン病の問題が報じられることはないし、この病が過去のものと思われているのかもしれない危惧もある。しかしそんな時代だから啓発することに意味がある。問題は依然として残っているのだ。
 宮里は今も病の後遺症に悩まされ、無理をすれば、指、腰、足などの末梢神経が痛み、そうなると病院でブロック注射や痛み止めの薬を飲むしか和らげる方法はない。
「とくに今日みたいな雨の日は手が痛くてね」
 宮里は語った。そのとき脳裏にCDで聞いた「五月の街」の一節が浮かんだ。
〈失った家族の絆と 忘れかけた故郷の空 取り返せる人生なら もう一度生き直したい〉
 平成13年5月の国賠訴訟の勝訴判決が出たときを歌ったものだ。「生き直し」はここから始まった。彼はずっと歌い続けてゆくだろう、そんな確信を持った瞬間だった。

 愛楽園には「沖縄愛楽園交流会館」がある。平成27年に作られた資料館で、ハンセン病の歴史や資料展示、園内案内、資料保管などを行う。この場所は、青木恵哉が最初に療養所を作った所である。本来の原点に立ち返るという意味を感じさせる。設立に関わった金城は語る。
「ハンセン病への歴史を伝え、差別や偏見があった事実をきちんと残していかなければなりません。資料などの現物に接すれば見る人の感じ方も違いますからね。ここを人権と平和を学ぶ拠点にしていきたいんです」
 患者が亡くなっても家に戻れず、埋葬された納骨堂もある。この世を見ることなく中絶された水子の命を慰霊する碑もある。負の遺産を知ることで、私たちは将来、差別の根絶に向けてどういう形で働きかけてゆくことができるだろうか。
 ※令和3年3月8日、金城雅春氏が67歳で亡くなられた。あまりにも急な訃報であった。

プロフィール

澤宮 優(さわみや・ゆう) 1964年熊本県生まれ。ノンフィクションライター。
青山学院大学文学部卒業後、早稲田大学第二文学部卒業。2003年に刊行された『巨人軍最強の捕手』で戦前の巨人軍の名捕手、吉原正喜の生涯を描き、第14回ミスノスポーツライター賞優秀賞を受賞。著書に『集団就職』『イップス』『炭鉱町に咲いた原貢野球 三池工業高校・甲子園優勝までの軌跡』『スッポンの河さん 伝説のスカウト河西俊雄』『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』『昭和十八年 幻の箱根駅伝 ゴールは靖国、そして戦地へ』『暴れ川と生きる』『二十四の瞳からのメッセージ』などがある。

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